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「遊女小路」と金山大権現 茅野市ちの

遊女小路 20.4.1

遊女小路
旧甲州街道から見下ろす「遊女小路」

 葛井神社から、旧甲州街道を使って足長神社まで歩きました。その道中で、御影石の白さも目立つ「遊女小路」の標柱を見つけました。
 一瞬「子供に聞かれたら何と説明しようか」と思いましたが、ここの住民ではありませんから、そんな“危険な目”に遭うことはないでしょう。

遊女小路
突き当たりは頼岳寺の駐車場(28.10.24)

 「遊女小路」は知っていました。「千鹿頭(鍛冶)小路」と同じく、慶長道路と旧甲州街道を梯子状に結ぶ、上原城下を区画割りする道の一つです。
 しかし、初代高島藩主の菩提寺「頼岳寺」の直下になぜ「遊女」なのでしょうか。実は、といっても『ちの町史』からの受け売りですが、花街があったのは「風林火山」の時代で、頼岳寺の開山以前のことでした。そのため、「坊さん、カンザシ買うを見た」はありません。

 この遊女小路は、下(西)は小道を経て民家・上(東)は頼岳寺の駐車場で行き止まりになっています。そこで国土交通省『国土画像情報』から昭和23年3月撮影の航空写真を用意しました。

遊女小路

 []は畦道のように見えますが、直線であることから遊女小路と特定できます。

遊女小路 代わって、諏訪史談会編『復刻 諏訪藩主手元絵図』から〔神戸村(部分)〕を開くと、遊女小路が載っており頼岳寺の山門まで続いているのがわかります。ただし「寺道」ともあるので、公の場では「てらみち」・生活の中では「ゆうじょこうじ」と言い合っていたのかもしれません。
 よく見ると、甲州街道に近い部分が途切れています。現在も住宅が占有していますから、この時代でも廃道に近かった可能性があります。
 関係ありませんが、「右を流れる水路も上写真で確認でき、甲州街道に架かる橋も石造りとわかる」と補足してみました。

金山大権現

 この一角に、御柱に囲われた祠がありました。寒々しい写真になっていますが、傍らの桜は蕾を大きくほころびさせています。

遊女小路の金山大権現 身舎(もや)の左には「文政元年・柳澤氏」と彫られていました。
 何カットか撮った後で見納めにのぞくと、中に文字が見えます。ところが、かがんでも這いつくばっても上は暗く、下は難字とあって中間の「山大」しか読めません。フラッシュを光らせて撮り、自宅で解読することにしました。

 モニターで見ると、上は「金」でした。下部は相変わらず読めないので「金山大○○」です。クイズなら「金山大明神」で正解ですが、拡大しても画像処理しても「明神」とは読めません。あとは、“一太郎大明神”に教えを請うことにしました。
 「手書き文字認識」を使って、確実な線だけをマウスで書き入れます。現れた候補群を見ると「權」が限りなく近く、その読みは「ごん」でした。目をつぶって脳内の熟語をサーチすると…、「権現」しかありません。改めて“実写”を見、權の異体字が「権」と確認して、中島先生のように「間違いありません」とは断定はできませんが、「金山大権現」としました。

 「金山神社」や「金山社」は普通ですが…、とネットで検索してみたら、例は少ないのですが「金山大権現」は幾つかありました。この祠は柳沢一族の祝神で、家業は鍛冶屋だったと想像してみましたが…。