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柏木大山祇神社(大柏木) 諏訪郡原村柏木 24.9.22

柏木 山神社 由緒書によると寛永元年(1624)の創建と伝え、柏木新田の開発当初勧請の氏神で大山祇命を祀る。社殿前には二畳敷程度の石畳があり、御射山祭に明神様の神輿の休息安置所の跡と伝えている。往古この地に柏の大木があり、原山狩場への入口の指標となったのである。よって、年四度の御狩もつねにこの地で狩集会(かりつどえ)があり、神事が行われた。古式の祭である湯立神事が長くつづいたことも、その昔を語るもので、原始信仰の遺跡として貴重である。
原村『原村誌』〔神社〕から

 文中のキーワードに沿って写真を並べてみました。

神輿安置所

柏木大山祇神社「神輿安置所」 石で組んだ露台が神輿の安置所です。『原村誌』では「跡」としていますが、現在も8月27日の御射山祭では諏訪明神の神輿がこの上に置かれます。
 大山祇神社の扉は開いていますが、神事は行われないので、あくまで「諏訪明神・建御名方命(神輿)の休憩」ということになります。

柏の大木

大柏木之碑 碑名は、諏訪大社宮司三輪磐根書「大柏樹之跡」になっています。側面に「柏木村の由来」として、「元和(げんな)辛酉年当村開闢(かいびゃく)、村地に小山あり、此山に柏樹生繁り是を像(かたど)りて寛永元甲子始めて村名を柏木と號(号)す」とあります。しかし、碑の向きが、すぐ下は石垣というのが不思議です。御射山社の方に向けたのでしょうか。

狩場入口の指標

柏木大山祇神社 御狩時は、高野(神野)を登る際に柏の大木が目印となったそうですが、それが小山の上にあればなおさら目立ったのでしょう。現在は家や屋敷林がありますから、ご覧の木々の高さでも「あれが」と指差すことはできません。

大山祇神社本殿

柏木大山祇神社本殿 御射山祭の日に撮った本殿です。大山祇神社というのに、一番目立つ場所に諏訪大社の神紋「諏訪梶」が掲げてあるのが不思議に映ります。
 『諏方大明神画詞』の〔五月会御狩神事〕にある故事から、縁(ゆかり)のある神社として“セット”したのでしょう。ここには御柱も建っていますから、大山祇命と言えども、諏訪の地ではその影響下から逃れることはできません。

其の後長峯山に登る、其の勢い相列なれり、又狩集会(かりつどえ)大柏木にして宇津保(うつぼ)(靫※矢を入れる筒)に改めて、二流の旗を守りて、左右に相分かれて、夏野の草の中にして、所々に狩人散乱す、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

 『画詞』では「大柏木」としか出てきませんが、ここで狩の支度を調えてから狩をしたことがわかります。原村四百年史編纂委員会『新田開発四百年記念誌 郷土の歩み』では、「また狩集会(勢揃い・山ノ神の神事・役割分担・戦略伝達)を大柏木で行う。靫(うつぼ)改めの後、二流の旗…」と解説しています。

柏木明神(柏手神社)

柏手神社・柏木明神 役場で購入した「原村全図」に、大山祇神社のすぐ東側に「柏木明神」の文字が見られます。「こちらの方が“大柏木”に相応しいのではないか」とその前に立つと、何と「柏神社」でした。
 規模は小さくても地図ではこの神社に間違いないので、取りあえず写真を撮って自宅へ戻りました。

柏手神社・柏木明神 資料の一つとして借りていた諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』から〔柏木新田〕を開くと、「山神・天王」(左)と「柏木明神」()があります。大山祇神社の境内には津島社(牛頭天王)があったので、周辺道路の形状とともに「山神・天王」が現在の大山祇神社と確認できました。こうなると、江戸時代の「柏木明神」が、現在は柏手明神ということになります。
 何が“正しい”のか、やはりこれしかないという『原村誌』を読み直すと、「石造物と仏像」の章に、ようやく見つけることができました。

 柏木の柏手社(柏木明神)前に高王白衣観音名号塔が祀られている。

 柏手神社の道脇にある「何と読むのだろう」と目でなぞった石碑に「白衣観音」を確認していたので、柏手神社に柏木明神の別称があることがわかりました。
 『原村誌』では「この地」という表現で、碑文『大柏樹之跡』は「此山に柏樹生繁り」とあるのみで、『画詞』との関連をハッキリと謳っていません。大山祇神社に「大柏樹之跡」碑があっても、(拍でない)柏手神社を参拝した後では「どちらに柏の巨木があったのか」という疑問が付きまといます。私は、柏の名があることから柏木神社(明神)へ判定の旗を空高く挙げたいのですが…。