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柏尾社「仁平・文安の古祠」 諏訪郡富士見町小六

 中村久太郎著『近世中新田村』の第一ページに〔諏訪と甲斐国境の考察〕があり、そこに、抜き書きですが以下のように書いてあります。

 富士見町小六区柏尾神社は一名治部山之神と言い、同社境内に「仁平元(1151)年辛未年三月吉日逸見太郎光長立」又「文安二(1445)乙丑年八月」の石祠が祀られている。この石祠は即この時代のものではないにしても誰が何の理由で建て祀ったであろうか。

 小六新田村の成立は江戸時代なので、筆者が指摘しているように、それより450年以前の祠が鎮守社の境内にあるのは計算に合いません。それはともかく、古いものを見ることに大いなる喜びを持つ私としては、もう行くしかありません。

文安の古祠 22.9.27

文安二年 柏尾神社を参拝した後で境内を眺め回すと、拝殿の右手に石祠が四棟並んでいます。
 「謎の古祠」を特定するために、順に身舎(もや)の中を覗いてみました。


文安二年 左端の祠に、確かに「文安二乙丑年・八月吉日」が彫られていました。しかし、釘などで引っかいたような線刻が新しいもののように見えますから、「史家は異論を称えている」ことに私も同意できました。
 そうは言っても自分が第一発見者なら、この場で「日本最古」と大騒ぎしたのは間違いありません。


治部山社 次は「仁平」探しです。代わって、本殿後方に並ぶ石祠三棟に注目しました。屋根の形状から見て、両側の祠がかなり古そうです。
 まず右側を観察しますが、身舎の前面に彫られている文字はどう譲歩しても「元禄」としか読めません。消去法では左の祠が「仁平」に該当しますが、内部が暗くて判別できません。今日は引き揚げとしました。

 実は、「これから写真を撮らせてもらいます」と祠の“主”に断り、何枚か撮った後で「ありがとうございました」と礼を言いました。しかし、柏尾社の急な石段を下るときには、銘を疑ったことで、見えない力で背中を押されるのではないかとの恐怖心にかられました。足使いを慎重にして降り、自宅までは安全運転に徹しました。

仁平の石祠 24.9.4

 前書の『古い氏神様の謎』に「仁平祠の社」があり、元号発見の経緯(いきさつ)が書いてありました。さらに、銘刻文字を「仁平元辛未季 三月吉日 逸見太郎光長 立」と紹介しています。ところが、私が「判別できない」とした祠がその写真と同一だったので、責任上、改めて確認しに行く羽目になりました。

仁平元年 カメラの小さな液晶画面では「何かが写っている」としかわからないので、自宅で検証することにしました。
 大画面で拡大すると、文字は確認できますが解読ができません。仕方なく、内藤弌さんの読みを採用しました。
 その何枚かを凝視する中で、壁面には縦の削痕があり「文字を彫ることを前提にしていない荒削りのまま」ということがわかりました。書体も取り急ぎ文字のラインだけを彫ったように見えますから、益々怪しくなってきます。

 結局は、同書に「村の歴史を古い時代に見せかけようとして、わざと古い年代を彫り付けた例があると云う」とあるように、ごく最近に彫り加えたとしました。
 もう少し筆字に似せ、彫面を壁面と同じ色に加工すればそれらしくなりますが、現地にしろ持ち帰りにしろ、人目につく長期に渡る加工は難しかったと思われます。