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三峰神社 諏訪市先宮神社境内 24.10.8

 “三峰神社”については、いつも「峯と峰・社と神社」で迷いますが、案内板に「三峰神社」とあるので、以下に続けます。

三峰神社

 先宮神社境内の右奥に三峰神社があります。境内社というより、明治期の神社統廃合で、先宮神社の境内に移(遷)されたと言った方が正確かもしれません。
 初めは普通の覆屋と見ていましたが、三方の壁が木の皮で覆われていることに気が付きました。ヒノキのようですが、スギにも見えます。

先宮神社の境内社「三峰神社」 中を覗くと、左の祠は幣帛が倒れ、右は祠自体が倒れ込んでいます。講中の誰かが起こしてくれるだけで済みますが…。見捨てられたとするには余りにも悲しいので、先日の台風による強風が原因としました。

 祠が二棟あるので「講社も二つ」ということが考えられますが、左側の丸窓を注視すると、御札の〔さんずい〕だけが見えます。三峰神社関係では「御眷属拝借」を含めても〔さんずい偏〕の漢字はありません。そのため、消去法で、右側が三峰神社となりました。

三峯社のお仮屋

 ここで本題に戻ります。諏訪では「三峯社(三峰神社)のお仮屋」が幾例もあるので、先宮神社にある三峰神社の覆屋もその「お仮屋」の一つではないかと考えました。

神明宮の三峯神社
神明宮の三峯社(諏訪市四賀)

 三峯社は、秩父の本社から代参などで持ち帰った御眷属拝借の札を、カヤなどで葺いた仮屋に安置するのが正しい祀り方です。
 現在は石祠や木祠をカヤで囲うのが主流になっていますから、ここ大和(おわ)では「樹皮で囲う」のが伝統ということになります。ただし、原初からその方法だったのか、その後に今のやり方に落ち着いたのかはわかりません。それとも、「お仮屋」の意義がまったく忘れ去られた中で、その時のアイデアで耐久性のある木の皮にしたとも考えられます。
 その経緯はともあれ、これからも現在の方法で覆屋を建て替え続けてほしいのですが、三峰講員でない私が願うことではないかもしれません。

 小口濤夫著『先宮神社誌』にある、三峯神社の詳細です。

三峯神社
大和村で最初に勧請されたところは字(あざ)山吹沢の高尾山穂見神社本殿の上で(跡地には何もない)、何時頃か不明であるが先宮神社境内に移された。祭神は盗難・家難・火除け・猪除けの神といわれる伊邪那岐・伊邪那美神で、埼玉県秩父郡の三峯神社から分社し、三峯講ができていて大和村でも弘化四年(1847)から代参が行われ、毎年二、三人、多い年で十数名が本社へ代参し護符をもらってきて講中に配り、家盗除、つまり火防と盗賊よけとしてそれぞれの家の門戸に貼った。
 また、三峯祭としては安政五年(1858)に一分四朱の費用をかけて執行した。文久二年から明治三十年頃までは先宮火祭りとして執行していた。昔は年に一度祠の屋根葺替をしたが、のちには略して屋根葺のまねをしただけの年もあった。そして、代参に代わって金を送って護符を買い配るようになったが、最近はそれもなくなった。

 覆屋には御柱が建ち注連縄が掛かっていますが、その管理は(先宮神社ではなく)三峰講ということになります。その講が消滅した(または有名無実になった)ので、「御眷属拝借拝借心得(三峯神社の神札の祀り方)」が忘れられている状況かもしれません。

三峰神社再拝 26.11.30

三峰神社 祠の窓から“二”峯の文字が見えていることから、右側の祠が三峰社であることが証明できました。また、祠と幣帛が正常な形で安置してあったことを報告しておきます。
 この写真は、平成28年11月6日に撮りました。