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折橋子之社 茅野市北山糸萱 14.9.1

前宮の精進屋
宮地直一著『諏訪史 第二巻後編』の図録「精進屋」

 糸萱の集落入口にあるという、前宮の「精進屋」を移築した「折橋子之社(おりはしねのしゃ)」は、二往復しても見つかりません。
 車から降りて途方に暮れていると、通り掛かりの軽トラックから声がかかりました。聞き覚えがある声と顔を見れば、何と、先ほどの、自宅前で折橋子ノ社の所在を丁寧に教えてくれた当人でした。再び同じ説明を低姿勢で受けることになりました。
 ところが、ターゲットに限りなく近いと思われるのですが、どうしても見つかりません。横道に駐まっていた軽トラに人影があります。尋ねて返ってきた同じような道順に、「車で走りながらではダメ」と、かなり離れてしまいましたが、ここしかないという空地に駐めました。

折橋子之社
凹地にある子之社(28.3.18)

 戻ってから前方を透かすと、道路脇に、下へ降りる階段があるのに気が付きました。その先に目を転じると、道下と言っても、見下ろすほどの場所に鳥居が見えます。これが折橋子之社でした。車窓からいくら注視していても、これでは永久に見つかりません。

折橋子之社 午後も遅い木漏れ日を受けている社殿正面は、目を細めてやや焦点をぼかしてみると、モノクロ古写真「精進屋」のカラーバージョンでした。
 横方向から眺めると、鬼板に神紋「梶」が光っています。諏訪大社の社殿を移築した縁で、その神紋を掲げたのでしょう。その中で、記憶にある旧精進屋とは異なる屋根の高さに違和感を覚えました。その背高は、「屋根も板張りも新しくなりすっかり変わった」とある話を思い出して腑に落ちました。

折橋子之社「本殿」 格子戸から中をのぞくと、本殿にはかなり凝った彫刻がありました。
 しかし、「北山折橋に、前宮の精進屋を移築した」という知識のみでここまで来ましたから、詳細がわかりません。帰りに図書館へ寄ってみると、頼みの『茅野市史』には「産土(うぶすな)神社で祭神は大己貴神」と記述は少なく、詳しいことは分かりませんでした。

 その後、糸萱新田村が芹ヶ沢村から分村した際に、芹ヶ沢子之社を分霊して折橋子之社を造営したことがわかりました。両社の「社殿は凹地の川辺にある」景観はうり二つですから、糸萱新田村が芹ヶ沢子之社の立地に似た場所を探して社殿を建てたことがわかります。それが、私のような参拝者の目に触れにくくしていると納得できました。

 「リユース」と言うと安直な表現になりますが、その最たるものに「上社本宮幣拝殿→富士見町の乙事諏訪神社幣拝殿」があります。さらに、本宮や下社の宝殿が式年造営で建て替えられた際には、古社殿が移築されて諏訪各地の神社で拝殿や覆屋として使われています。取り立てて強調しなくても、極自然な流れで資源を有効かつ大事に使ってきたのでしょう。