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大國主命社「八本御柱」 諏訪市中州宮ノ脇 16.10.23

「大國主命社」は、長野県神社庁の表記です。

 図書館で資料を漁っていたら、「八本の御柱(おんばしら)」に目が留まりました。「?、???」ですが、読み進めて「なるほど」と思いました。

大國主命社「カヤノキサマ」

 まずは、写真をご覧ください。この社殿は、地元では「カヤノキサマ(榧ノ木様)」と呼んでいる「大國主命社」です。左端の木が諏訪市天然記念物「宮ノ脇のカヤ(榧)」ですから、これが別称の由来でしょうか。

大國主命社「御柱」 神社と御柱の一心同体は、諏訪では常識とも言える光景です。その御柱ですが、冒頭の一文を頭に置いて近づくと、御柱の根方に添えられた「杭」が御柱であることに気が付くことになります。「そんなことは…」と怪しんでも、先端が三角錐(冠落とし)になっていますから、御柱以外の何物でもありません。
 これを割り箸と付属する爪楊枝に例えると、箸は、地元「神宮寺」が建てます。それでは、爪楊枝は誰が建てたのでしょうか。二つの文書から、関係する部分を転載しました。


 徳川時代の神宮寺は、宮の脇と宮田渡を包含する村であって、元禄御帳に石千弐百四拾九石八斗五合と載せられた大郷であるが、戦国時代までは今の本宮以南のみが神宮寺と呼ばれていた。宮の脇は山麓の農業聚落で、かつては小熊地分に属しておったと伝唱されており、現に小熊の七御社宮神の一つである榧の木の御社宮神が存する。
諏訪史談会『諏訪史蹟要項』から「神宮寺村」
榧ノ木七御社宮司
→大熊村space諏訪史談会編『復刻諏訪藩主手元絵図』

 直接の説明ではありませんが、榧の木御社宮司社がある「宮ノ脇」が、大熊(おぐま)村から神宮寺村に編入したことがわかります。それに伴って、御社宮司社が「大國主命社」に衣替えしたということでしょう。
 享保18年(1733)の村絵図では、大熊村に「七御社宮神内(榧の木御社宮神)」が書かれています。

一、大熊村 (中略)
かや之木御社宮神御頭七社之内、御柱は大熊村・神宮寺村にて立てる
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』

 隣村となってしまった神社でも、「気持ちの上では大熊村のもの」とばかりに、越境して御柱を建てたことになります。当初は「見つからないように、夜陰に紛れて担いで来た御柱を急いで地面に突き刺した」と想像されますが、神宮寺村も黙認するようになったということでしょうか。

 平成21年1月20日、一部修正を加えようとこのページを開いたら、社殿が「旧宝殿」であることに気が付きました。「お下がり」というと聞こえはよくありませんが、由緒ある「諏訪大社本宮の宝殿」です。地元からの要請で移築したのでしょう。