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山神社(大山祇神社) 茅野市穴山 18.8.20

 茅野市玉川を横断する県道17号を北から南に向かうと、右方向に1キロにも満たない間隔を開けて、まるでコピーしたかのような長方形の緑の塊が二つ見えます。前から気になっていましたが、「そろそろ」と決着をつけることにしました。

山神社(大山祇神社) 車での急な減速は追突される心配があります。迷っている内に通り過ぎてしまったので、御柱街道へ右折し横から狙うことにしました。ここでも後の後悔となる道幅のこともあって踏ん切りがつかず、結局「穴山」まで下ってしまいました。
 郵便局隣の空き地でUターンし、「さあ戻ろう」と左方の確認をとると、大幟の石枠が二基見えます。狭い道ですが、方向から目的の神社まで続いているようです。恐怖の対向車も現れず、集落を抜けると田圃の中の道となりました。タイミングと踏ん切りがつかない優柔不断の果てが、当初と正反対になりますが、正規の参道ルートを通るという結果となりました。
 幟枠の間に草がはげ掛けた轍(わだち)が続いていたので、「我も」と乗り入れました。大きく張り出した枝が恰好の日陰を作り出していたからです。今はその予定はありませんが、車での昼寝に最適の場所です。

山神社(大山祇神社)

 鳥居から参道を進むと、奥の方にまとまって大小様々な石祠とそれに伴う御柱が林立しています。まさに諏訪の風物詩が凝縮された光景とでも言えましょう。最奥に比較的新しい覆屋がありました。
 入口の鳥居には「大山祇神社」の額が掛かっていましたが、覆屋の柱には「山神社」の由緒が掛かっていました。これは嬉しいものです。急な立ち寄りで神社名も分からない場合もあるからです。アンダーライン部分がチョット引っかかりますが、それが返ってこの神社に相応しい…。

この山神社は正保元年(1644)勧進と伝えられ、穴山新田草創の時と同じくして祀られる。祭神は大山祇神・金比羅神・秋葉神の相殿神からなり正面社殿に合祀されていたが、文政元年鎮守三社を再建と同時に当時雨屋として建てられ、幾度かの修復を施し現在に至る。平成七年老巧化にともない社殿の新築をする。

 「監視中」の張り紙があるので見上げると、何と監視カメラです。角度からそれが見つめているのは賽銭箱で、当然ながら泥棒対策です。そんなことをするより、箱を覆屋の中に入れ扉に投入口を設けた方が、と思いました。しかし、ここは田圃の中の“一軒社”です。扉が壊される可能性、というよりそれが実際に起こったのでしょう。扉より賽銭箱を壊された方がまだマシ、から一歩進んでカメラを設置したのでしょう。私にやましいことはないのですが、賽銭箱の上に身を乗り出して中を覗う姿は人には見せられません。

山神社本殿 いつものやり方で扉の格子に鏡胴を乗せて手振れを防ぎます。しかし、余りの暗さに感度をISO400にプリセットしたモードに切り替えました。社殿は由緒通りに三社ありますが、広角一杯でも左右の社は切れてしまいます。それぞれを単独で撮りましたが、ここでは、代表して「大山祇社」を紹介します。
 戻りながら数ある祠に目を配りました。稲荷社などよく見られる赤い祠も多いのですが、とにかくこの多さは尋常ではありません。個人姓のような名前が多いので、一族(巻・マキ)の氏神を祀ったものでしょう。構造改善(耕地整理)などで、現住所をここへ移したことも考えられます。
 せっかくの日陰ですから車に昼寝を、と再びまぶしい暑気の中に身をさらして、次の“標的”となった正体不明の杜を徒歩で目指しました。