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鎮神社(葛飾北斎 信州諏訪湖ライン) 岡谷市長地

 富士山と高島城を結ぶラインを、『GoogleMap』に貼り付けてみました。高島城から諏訪湖を横断する先を見ると、岡谷市長地(おさち)にある鎮(しずめ)神社の右をかすめています。

別項『富士山と高島城』で用いたものと同じです。

 次に、葛飾北斎の『富嶽三十六景〔信州諏訪湖〕』を、文化庁『文化遺産オンライン』から転載しました。

富嶽三十六景「諏訪湖」

 手前の小山は、一般的には「弁天島」と紹介されています。しかし、弁天島からは富士山が見えないという厳然たる事実があります。一方で、前出の「富士山−高島城延長ライン」では、鎮神社が最適地となります。鎮神社にはサワラ(椹)の大木が二本並んでおり、同じ構図になるからです。

鎮神社(鎮社) 29.4.17

鎮神社の正式名称が「鎮社」だったので、以降は鎮社で進めます。

鎮神社 下方からアオって撮ったので、広角側と相まって台形にデフォルメされた写真になりました。これが岡谷市指定天然記念物「鎮社のサワラ」です。
 中央の社殿は覆屋で、中に鎮社の小さな本殿が収まっています。屋根は板葺きで、造られた時期は不明と説明を入れました。

『富嶽三十六景〔信州諏訪湖〕』を、鎮社で再現

鎮神社から諏訪湖
※ 望遠ズームなので、実景とは異なります。

 〔信州諏訪湖〕(以降は絵と表記)に近い構図で写真を撮りたいのですが、背後は急傾斜の山が迫っています。距離を空けることができないので、やむを得ず、祠の屋根とサワラが大きく写る場所で富士山を狙いました。しかし、諏訪湖は望めますが、その方向には私の企画を阻(はば)もうとしゃしゃり出た梢が…。

鎮神社から富士山 絵の構図は諦めて下壇に降り、境内の端からシャッターを押しました。しかし、結果は、撮った本人だけが識別できるという春霞に覆われた富士山でした。

 画像処理で何とか浮かび上がらせ、上写真の枠に合わせてカットしたのがこの写真です。高低差約3m・移動距離は20mもないと思いますが、諏訪湖が見えなくなった代わりに高島城()が“出現”しました。

『富嶽三十六景〔信州諏訪湖〕』の社(やしろ)は、鎮社なのか

 鎮社の祠は、絵と違ってサワラの背後にあります。原初からこの場所とは限らないので、サワラの木を基準にして以降に進めます。

鎮神社社殿 境内に、岡谷市設置の案内柱があります。サワラの樹齢は推定200年以上で、右−幹囲4.7m樹高23m・左−幹囲3.95m樹高28mとありました。
 まず、葛飾北斎が〔富嶽三十六景〕を構想し、諏訪まで取材に来たのが1825年と仮定しました。今年「2017年」からその年を引くと「192年前」となります。ところが、サワラの樹齢が推定200年ですから……。

 気を取り直して指定年を調べると、平成2年です。200+27=227年と改訂すると、当時は樹齢30年となるので木の大きさとは一致します。仮定と推定の数字を挙げても重みはありませんが、可能性としては何とか踏み留まることができました。後は、葛飾北斎が、小さな祠が一つという鎮社へ行ったかどうかです。
 鎮社は、中山道から直線距離で約840mの場所にあります。彼が、富士山−高島城ラインを確認しながら(私と同じように、しつこく)ロケハンすれば、鎮社にたどり着いたことは考えられます。

 ここまできて、これ以上の妄想が浮かばなくなりました。

水神碑 そこで、代替えとして、知る人ぞ知る「(仮称)鎮社のヘビ碑」を紹介します。鎮社の横にあり、全高49cmの石にヘビの陰刻があります。背後から眺めても文字は見つかりませんが、水神に間違いないでしょう。
 境内東側の竹藪に黒いホースが延びているので、今でも水源があり引水していることがわかります。そこから移したとしましたが、あくまで私の推定です。