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新海神社 諏訪市清水 24.4.10

 小口濤夫著『先宮神社誌』で、「かつては、先宮神社と新海(新開)神社の二社があった」という話を読みました。私は、水と油のようにまったく異なる「別称」に疑問を持っていましたから、即座に飛びついてしまいました。
 その関連もあって、ネット地図で諏訪市周辺をスクロールしていたら「新海神社」を見つけました。先宮神社とはかなり離れていますが、何か新事実が見つかる可能性を思いました。

新海神社へ行く

 「雪が消えたら」が四月の半ばになってしまいました。国道から地図で確認した道に入ると秋葉神社の前に出ます。右折して、すでに赤土となっている傾斜が増したその先を目指します。

新海神社

 ふくらはぎの筋肉が吊りそうな坂道に耐えると、「新海神社」と書かれた木製の社号標が現れました。樹形からケヤキの大木と見えたのはケヤキを含む数本の集合体で、それらに囲まれて石祠が鎮座していました。
 改めて標柱を確認すると、…「小和田宮坂新海巻神社」です。「巻(まき)」は「同族」と同意語なので、「小和田(こわた)地区の宮坂さん同族の新海神社」ということになります。期待が外れてがっかりという結末なので、「小和田宮坂巻新海神社とすべき」とケチを付けてしまいました。しかし、これを書いている時点で気が付いたのですが、宮坂姓は多いので、その中の「宮坂新開」グループである可能性が出てきました。

新海神社本殿 石祠の身舎に「大正三年・信徒中」と彫り込んであります。通常は「社中」ですから、私がイメージしているところの「信徒」とは異なっていることもあって違和感を感じました。(信徒ではないので、とやかくは言えませんが)鳥居も「新海神社信徒宮坂姓」でした。
 祠の上部に目をやると、菜園と言える規模の畑が幾つかあります。この地形では「水はどうするのだろう」という高台ですが、周囲に縄文式土器の細片が散在していますから、川は望めないにしても湧き水があるのかもしれません。

新海神社から諏訪市街展望

 木の枝が写り込まない神社下から、諏訪湖の“幅”が収まるように撮ってみました。鳥居や本殿の向きに意味があるのだろうかとその方面を眺めてみましたが、八劔神社の境内社である新海神社や小和田地区との関連性を見つけることはできませんでした。

新海神社を仰ぐ 国道脇の小道から少し入った崖の最下部から仰いでみました。斜面が、上写真でも一部写っているコンクリートの擁壁で全面が覆われています。巻の神社とあって案内板がありませんから、なぜこの断層崖の縁に造営したのかは謎のままで終わりました。

 上写真の地形は、茅野駅の西側から始まる断層崖の続きで、赤羽断層群の一つに当たるようです。新海神社から見下ろした時は、角度がわかる斜面の横位置では三角定規の形が当てはまる60度でしたから、昨今の“情勢”では特異地形で済ますことはできません。どうしても、今後(崖上から大石が転がり出したという)児玉石神社が幾つも出現する可能性を考えてしまいます。

八劔神社の境内社は、新海神社の総本社(か)

八劔神社境内社「新海神社」
八劔神社の境内社「新海神社」

 諏訪圏の住人とあっては、新海神社の本社を「佐久の新海三社神社」とすることはできません。『諏方大明神画詞』の「行程二日」を無視すれば、小坂鎮守神社との絡みもあるので諏訪湖畔に“あるはず”ですが、それに対応する規模の神社は“現在”ありません。
 旧県社という「八劔神社の境内」を考慮すると、明治期に移転して境内社となった新海神社が候補に挙がります。しかし、覆屋は完備していますが、中の石祠は宮坂巻の祠と変わりません。また、公になっている資料ではその謂われはわかっていません。