いつの間にか、高規格の道路が開通していました。5年前のカーナビでは、道とともに表示しない「Jマートとオギノ」も存在していました。そこに駐車場を確保してから、一目で神社の杜とわかる高木の塊を、これも新しい分譲住宅地の中を縫いながら目指しました。今日の目的は、中世の『祝詞段』に「飯島神明」と詠(うた)われた、旧飯島村の鎮守社である神明宮です。
拝礼を済ませてから境内の奥に目をやると、何かの石造物が見えます。
遠目では多宝塔とも思えた“何か”は、「昭和55年の庚申の年に住民の総意で称故院に庚申塔を建てた。その記念としてタイムカプセルを埋設し飯島区に関わりのあるものを納めた」とある「庚申記念塚」でした。
灯籠の笠にも見える屋根を基にデザインをしたのでしょうか、奇抜ですが余り違和感は感じません。しかし、本体と屋根には明らかに大きな時代差があります。
この後は、赤沼子之神社を参拝して白狐稲荷社の写真を撮るという計画です。まずそれらを片付けてから、じっくり庚申記念塚を含めた境内を探索することにしました。いったん境外に出て、上川の堤防に並行する道を目指しました。神明宮の前から堤防までは僅かの距離でした。
突き当たりの交差点で左折すると、竿だけの灯籠が現れました。写真の通り、その周囲は「安全地帯または分離帯」になっています。
見回すと、電柱の根方には道祖神などの石造物もありますから「昔ながらの辻」であることがわかります。思わぬ発見にうれしくなって竿の彫り込みを読むと「大小神祇・諏方大明神」です。台石には「右一ノ宮」ですから、方角は合っていても神明宮ではなく諏訪大社上社用の道標を兼ねた灯籠とわかります。
この状態でも撤去されずに残っているのが不思議ですが、それを思う以前に、私は神明宮の「庚申タイムカプセル」に関連付けていました。灯籠で始めに壊れるのが火袋です。経緯はわかりませんが、それを補完しなかったために居場所を失っていた笠を、庚申記念塚の屋根として再利用したと考えました。何かワクワクしてきましたが、それはひとまず置いて、旧街道の先を目指しました。
神明宮に戻ると、そのまま奥に直行しました。カラスの威嚇とも思える鳴き声にややひるみましたが、延びた草を踏み倒して近づき「塚の屋根」を観察しました。下から覗くと火袋をはめ込むスペースが見えますから、灯籠の笠に間違いありません。今見れば、私が密か(勝手)にスペーサーと呼んでいる、大型の灯籠に見られる中台が笠の下にあることも気がつきました。
まだ何かないかと宝珠を確認すると、写真ではよく見えませんが諏訪大社の神紋「諏訪梶」が彫られています。コケで覆われていますが、上部に梶の葉が一枚と下に半円形の根があるのがわかるでしょうか。
これで、経緯はわかりませんが、交差点にある「諏方大明神」の灯籠の笠を使っていることが確定しました。これだけの材料に図書館の史料等を加えれば、かなりの一文が書けそうです。お土産をいっぱい貰ったような思いで、神明宮を後にしました。
甲州街道(上川の右岸方面)から諏訪神社(諏訪大社)上社に参拝する人は、誰もが、この辻でこの灯籠の「右一ノ宮」を目にしたことが想像できます。
現場では享保か享和なのか判別できなかったので、その年代を特定することにしました。まず、目を細めたり見開いたりして推定した干支の「辛酉」を年代表で探すと、「享」では「享和元年」しかありません。改めて写真を見直して「享□元辛酉天」と確定できました。□にしたのは、写真のように右に寄った「禾」ではとても「和」とは読めなかったからです。
まだ、小渕さんが「平成」と書いた紙をテレビ画面を通して紹介する時代ではありません。「元年」とあっては当時はまだその字が“一般化”しておらず、「和」を「秩vと彫ってしまったと考えてみました。完成後に気がついたものの、「一ノ宮」さえ読めれば道標の役目が果たせるので、これで(も)“よし”とした、と推理してみました。
ネットで何気なく「秩vを検索したら、読みは「わ」で、和の異体字とわかりました…。
「タイムカプセル」なら地元ではチョッとした話題になったはずと、ネットで検索してみました。しかし、32年も前のこととあって、反応がまったくありません。ところが、「諏訪市飯島 灯籠 タイムカプセル」の検索ワードで、(なぜこの名称と首を傾げる)サイト『近世以前の土木遺産』※が見つかりました。
名称は「四賀の常夜灯」でした。一覧表のマス目から「(飯島中の辻)<一之宮街道>|石常夜灯・道標|享和元年(1801)|市教委|笠なし|「右一ノ宮」上部は神明宮境内に建設のタイムカプセル笠として使用される」を拾い出しました。
ここで、私には只の交差点が「飯島中の辻」とわかり、このサイトの監修者である岡山大学大学院の馬場教授に(届かぬ)感謝をしました。
改めて『諏訪四賀村誌』を読み直すと、〔庚申講〕に、タイムカプセルの消息が載っていました。
タイムカプセルの開封にはまだ28年あります。その庚申の年には火袋を新調し、笠を戻して名実の「四賀の常夜灯」にして欲しいのですが、私にはそれを確認できる余命は残っていません。