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神田組 金子巻の神明神社 諏訪市湖南大熊 28.10.5

■ 「神田組の祝神」は、「金子巻の祝神」の間違いでした。関係者が読んでいる可能性は0と思いますが、謹んでお詫びします。再拝記を加えて書き直したので(よろしければ)読みなおしてください。

 「7月3日のこと」と書くと、それから三ヶ月も経ったことになります。実は、祠の大きさを測定してから紹介する予定でしたが、未だに果たしていません。見切り発車ではありませんが、記憶が色あせないうちにとまとめてみました。

 大熊(おぐま)の御社宮司社を探す道中で、畑の草取りをしていたおばあさんから、「あのこんもりした林が神田(しんでん)の神社 あの辺りが神田(しんでん)で、こんもりした林が金子巻の神社」と情報を得ました。

神田組の神社
南方御社宮司神社から金子巻の神社を見る(中央)28.9.17

 今日の最終目的地である北方御社宮司社の復路、その間違いようがないランドマークに最接近しました。ところが、今立っているのは旧道ですが、そこへ向かう道がありません。一ブロックだけ通りすぎてから右折すると、その中心に行けそうな小道があります。少し歩みを進めると、その先に鳥居が見え、これが参道とわかりました。

神明神社

 全てが草に覆われていますが、その下は整備された広場であることがわかります。木々にも名札が付いていますから、狭いながらも憩いの場であるのかもしれません。

神明神社の大祠 イチイの生垣の中に入ると、正面に、思わず「オー」とうなった神宮寺石の大きな祠がありました。流造(ながれづくり)とはやや異なる造形に、何か新発見をしたようにテンションが上がりました。
 メジャーがないのでその横に立ち、大棟の高さに固定した手を自分の体に当てると、アゴの下でした。全高はおよそ1m30cmとしましたが、銘が無いので「大きな石の祠」としか言えません。取りあえず、“流造寄棟風(ながれづくりよせむねふう)”として写真を載せました。

 (岡谷市の前身)平野村『平野村誌』に「郡内最大の石祠」と書いてあるのが(天王森)津島神社で、(私の実測では)1.74mあります。ただし、細野正夫・今井広亀著『中洲村誌』には、諏訪市八龍神社の本殿を1.92mと紹介しています。

金子巻祝神 一壇下がった隣に、石祠が一棟あることに気が付きました。さらに藪を透かすと、小さな木祠が二棟見えます()。ただし、祠の向きに統一性がないのが不思議です。
 石祠の背後に家がありますが、留守のようにも見えたので、聞き取りをすることなく退散しました。何しろ、巻(まき)というプライベートな神社に立ち入るのは、後ろめたさが先に立ちます。

金子巻の神社(祝神)は神明神社 28.10.4

 小宮の御柱祭もピークを過ぎようとしています。「神田組の大祠」と紹介した神社も、整備された境内に新しい御柱が建っていると思われます。

金子巻「神明神社」 雨模様の日が続く中、台風が接近する前の晴れた日を選んで、祠の大きさを測るために出かけました。
 旧道から、一部ですが新しい御柱が確認でき、予想通りとなりました。近づくと幟が見え、お年寄りが一人で何かの作業をしています。雨が続いたので、小宮祭の後片付けが今日になったと理解しました。
 これ幸いと挨拶し、不明だった事柄を幾つか伺ってみました。まずは神社名です。「幟を見ればわかる」の声に従うと「神明神社」でした。ここで「神田組の祝神」が思い込みであったことに気が付いて慌てました。もちろんそんなことはおくびにも見せず、目の前のお年寄りが金子巻の長老、すなわち本家の当主であることを確かめました。
 かなり突っ込んだ話もしましたが、あくまで巻の神社です。「小宮祭は10月の2日で、今でも諏訪大社の神職に来てもらう。幟は守矢真幸さんに書いてもらった」とだけを紹介します。

金子巻の石祠 祠の測定と写真撮影の許可を得てから、その前に立って拝礼を済ませました。実測は、高さ1.4m・前後1.3m・屋根幅1.1mでした。屋根が比較的扁平なので、身舎の大きさが際立っているように見えます。
 気になるのが建立年です。自宅に戻ればわかると言いますが、まだ作業中です。その代わりに「この祠は神宮寺石で、三代前の石蝟k原(いしりゅうきたはら)に作ってもらった」ことを聞き出しました。我が家の玄関先に居座る狛犬は石蛯ウんに作ってもらったので話が通じ、祠の建立年は最近であることがわかりました。

 「これで完結編が書ける」と、金子さんに篤く礼を言って別れました。