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諏訪市役所「稲荷神社」 諏訪市高島 19.2.17(27.2.23 加筆)

 高島城の「亀石」を見に行きました。往復とも同じ道では芸がないので、帰りは諏訪市役所の敷地内を選びました。横目で庁舎を仰いでいるうちに、ここに稲荷神社があることを思い出しました。

諏訪市役所の屋上にある稲荷神社

諏訪市役所 「屋上にある」としか知りませんから、漫然と最上部のスカイラインを目でなぞりました。すると、お稲荷さんのお導きか、その隅に御柱が見えます。もう素通りはできません。今日は土曜閉庁なので時間外窓口へ向かいました。

 「諏訪市役所の屋上にある稲荷神社の写真を撮りたいのですが」と問うと、予想通り拒否されました。もしかしたらお稲荷さんの更なるお導きで、との望みがあっただけに残念でした。しかし、神頼みの効果は別の方で発揮したようです。「平日なら」との再びの問い掛けに、「ここでは分かりません」と門前払いにされてもおかしくありませんが、わざわざ(庁内の誰かに)問い合わせてくれました。その結果は、「危険防止のために職員が立ち会いする規則なので、平日にお越し下さい」という朗報でした。窓口の女性職員とお稲荷さんに、感謝感謝でした。

諏訪市役所屋上の稲荷神社

 今のところ平日の諏訪市役所行きは不可能なので、「できる限り」と下から撮ってみました。角度の関係で、距離をおくほど祠の下部が見えるようになりますが、その反面小さくなります。望遠最大で狙うと、ファインダーは満足できる大きさの祠を捕らえていました。ところが、その色から石造りであることがわかります。木造の先入観がありましたから、意外でした。

諏訪市役所初午祭

 「諏訪市役所のお稲荷さん」は、“祭政分離”の目からは「話題」として取り上げられることが多く、「自治体の祭事」として毎年初午の時期に新聞に載ります。
 今年の記事は「初午祭は昭和44年から始まり、諏訪市職員互助会が昼休みを利用して行った」というものですが、必ず「昭和の初め頃に旧庁舎の近くで落石があった。稲荷社の上で止まったので職員や役所に被害がなかった。その祠は庁舎建設時に掘り出されたものなので、諏訪市役所を新築移転した時にその祠も屋上に移した」という「由来」が加わります。

諏訪市役所小宮祭

 諏訪大社の御柱祭が行われた年の秋に、(これを省くと問題が生じる)「諏訪市職員互助会が主催」して「諏訪市役所でも小宮祭が行われた」と報道されました。上写真の御柱は、「短く切断した御柱を担いで階段を上った」とありました。

諏訪市役所「初午の式」を見学 27.2.23

 「昨日だったのか」と、毎年新聞で知らされていた“諏訪市役所の初午祭”ですが、「今年で決着を」と勇んで諏訪市役所へ向かいました。話が飛びますが、翌日の地元紙『長野日報』で「初午の今月11日が祝日だったため、『二の午』のこの日に行い」を読み、なぜ「今日の23日」であるのかを理解しました。また、「祭」では誤解されると苦慮(深慮)した結果と思われる「初午式」の表記であることも気が付きました。

諏訪市役所稲荷神社「初午祭」

 前日は、日本列島に南風が吹き込む「春一番」でした。通常はその恩恵を受けない諏訪ですが、今日も2月としては異常な高温の中で初午式が行われました。この写真ではいかにも寒そうに写っていますが、時々薄日が射すという彩度が低い天候が原因です。

稲荷神社「初午祭」 祓串や玉串が用意されているので、一向に現れない神主に遅刻の文字が重なりました。しかし、始まった式の進行を見て、すべて市役所職員互助会が仕切るということがわかりました。その結果、市長が修祓・(一升瓶の栓を外すだけの)献饌・祝詞奏上を行った後、会員の代表者や関係者が玉串奉奠をするという手作り感あふれる神事となっていました。
 12時45分の開始で55分には終わってしまいましたが、公務の都合か、足早で階下に降りていく職員も見られました。互助会とは縁も縁(ゆかり)もない私ですが、吹きさらしの風雪の中での初午式でなくてよかったと、「二の午」の日に感謝しました。