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聖徳神社と高島城の鯱 諏訪市茶臼山 17.8.16

 手長神社の社務所を認めてから、木立の中にポツンとある祠に視線を戻しました。何か異様な黒い物体が見えたからです。立ち止まると、すべてが“帰りモード”になっていたので、ここに「迷い心」を残したまま先を進み続ける自分の背中を見ているような感覚を覚えました。

聖徳神社

諏訪市聖徳神社 道沿いとも言える至近距離ですが、今日は大汗に何回も包まれた体です。ムチを打つようにして戻りました。
 目にした「あの聖徳太子!?」という感じの「聖徳神社」を掲げた鳥居をくぐると、近づくまでもなく、それは鯱(シャチホコ)とわかりました。

諏訪市聖徳神社の鯱 それを目の前にすると、三段に分かれた瓦製で、それにシッポやエラを組み付けてありました。高さというか全長は目測で1.6mあり、裏(腹)には「長野縣諏訪郡岡谷中央・竃元・滝澤愃吉」「長野縣東筑摩郡岡田町・製造主・兎川國吉」と刻まれています。
 製造者は確認できましたが、聖徳太子との関連がわかりません。祠前の「聖徳神社」とある石柱の横には、「太子會」をトップに寄進者の名前が彫ってあります。反対側下部には、基本金寄付者として「諏訪聖徳講・諏訪工匠會」とあり、それぞれの代表者名があります。
 聖徳太子縁の神社に間違いありませんが、鯱と太子との関連性が明解にならないまま帰ることになりました。

 ネットで検索してみました。「聖徳神社」では星の数だけ表示してしまう、と予想したので「諏訪市」を加えてみました。幾つかのサイトを閲覧した後、「小宮の一覧表」がヒットしました。氏子・崇敬者の欄に「諏訪建設協会」とあります。次は「諏訪建設協会」でサーチすると、…一件もなし。ここで“検索の糸”が切れたので、これ以上の詮索は止めることにしました。

高島城の鯱
高島城天守閣の鯱

 その後、思い出してはあれこれと想像する中で、これは高島城天守閣からの“天下りシャチホコ”に違いないと考えました。耐久耐震性に勝るブロンズ製の後輩にその座を譲ったのでしょう。

 「聖徳太子も、諏訪に祀られては狛犬が鯱になり、御柱も建てられてしまう」とまとめてみました。


鯱は、高島城の天守閣で輝くはずだった…

 後日、図書館で、諏訪市教育委員会編『諏訪高島城』をパラパラとめくっていたら、見覚えのある鯱の写真を見つけました。〔高島城復興〕の章で、

 上諏訪町末広町に住む工匠宮坂友右エ門等が工匠組合の手で復興したいと、上諏訪工匠組合(お太子講)を組織し、募金と工事に着手した。そのときまず作られたのは瓦製の一対の鯱で、高さ1.94mあり、いま手長山の聖徳神社に飾られている。大きいものなので一尾の鯱を十個に分解して焼き上げ、銅線で結び付けた。この人たちの計画は昭和初年の経済不況にあって挫折した。

とありますから、本来は、高島城天守閣の鯱として作られたものとわかりました。

 高島城は、大正11年に復興が具体的に計画されてから半世紀経った昭和45年に完成しました。しかし、上諏訪工匠組合が製作した瓦の鯱が天守閣に燦然と輝くことはありませんでした。本では「挫折」の二文字で片付けられていますが、当事者の無念さと鯱の嘆きが如何(いか)ほどのものであったのかは想像に難くありません。


‖サイト内リンク‖ 「聖徳神社の鯱」詳細写真