from八ヶ岳原人Home / 雑記書留メニュー /

「こんぼった石」 諏訪市四賀武津 18.8.5

 「武津(たけつ)公民館の近くに舟繋ぎ石がある」と聞きました。これは、かつての諏訪湖がこの地まで広がっていたことを、物として検証できることを表しています。

舟繋ぎ石とこんぼった石

道祖神と秋葉神社
道祖神と秋葉神社の道標に「御柱」が…

 道祖神と「秋葉山」と彫られた石柱があります。「何にでも御柱を建ててしまう諏訪人には困ったものだ」と半ば呆れながらも容認して、その公民館前に立ちました。
 現在は旧国道とあって車の通行はまばらで、人の姿はまったくありません。ところが、不思議なことに、私の“出現”に合わせたかのように、(後で知った)旧甲州街道の小道からカメラを提げたお年寄りがこちらに歩いてきます。
 実は「舟繋ぎ石」が何であるのかわからないままの現地入りでしたから、早速「舟繋ぎ石を探しています」と声を掛けてみました。「その道祖神の裏にある」と受けてくれ、これから“お出かけ”という姿に心配して私が制限を申し出るほど「地元では『こんぼった石』と呼んでいる。火を灯して湖からの灯台代わりにした。昔の諏訪湖は極近くにあった。(写真右の)「秋葉山」は公民館横の辻にあったが車の通行の邪魔になるのでここに移した。子(ね)の神神社や秋葉神社はこの裏の山にある」と続きました。

「こんぼった石」 「こんぼった石」の説明を読もうとしましたが、前に張った枝葉が邪魔をしています。後でゆっくり全文を、と斜めから写真に収めました。拾い読みでは「舟を繋いだ」とは書いてありません。別れ際に「自分の手で確かめたら」と促されていたので、こんぼった石の基部を覆っているササを払ってみました。地中部はなくただ置かれた状態です。目測の高さは60センチで長さは1mでしょうか、こんな丸石では舟を繋ぐことはできません。

「こんぼった石」 幾つか空いた円錐状の窪みは、掃除をしたと言うより削り直したような地肌が見えています。また、凹みから石の下部に向けて幅広の浅い溝があることから、奈良・飛鳥の「酒舟石」のように、「穴から水が溝に沿って流れるのを楽しんだ」とも解釈できます。
 話に出た灯台説ですが、その前になぜこの石を使うのか理解できません。当然、風雨対策とある程度の高さは必要ですから、各地に残っているように木や石の灯籠形式のほうが合理的です。言い伝えに反発するのも大人げないのですが、自分なりにそう考えてみました。

旧甲州街道

旧甲州街道
左が旧甲州街道で右が旧国道。左端の石造物がトップの写真

 甲州街道を歩く人は多くいます。しかし、正確にトレースするのは難しいようです。宿場は今でもその面影が残っていますが、それを繋ぐ道は廃道になったり国道に置き換わっている場合が多いからです。また、甲州街道の定義をどの時代に置くかでルートも変わります。写真にある「旧甲州街道」も、舗装が途切れる辺りで狭くなっています。もちろん車は通れません。

こんぼった石とは

 写真から読み取った説明文です。句読点がなくて読みづらいので、サービスで[,]を付けてみました。ところが、それによって解釈の違いが出てくるので「原文ママ」として載せました。

銘石こんぼった石
昔この付近が湖水であった頃鷹津と呼び入り江であったその後竹津と呼び何時の間にか武津と呼ぶ様になった我々の祖先が漁に出てこの石を舫石にした現地より北三十米山の手に有った夜遅い時には秋葉神社の灯火を頼りに帰舟した区民一同廻り番で毎夜灯火したもので有るこの石は我々の先祖が漁に出て帰りを待つ子供達が淋しい思いをしながら青草を石でつきつき遊び乍ら父母の無事な帰りを待ったと云うこの石は村人達には通称こんぼった石と呼ばれ親しまれて来た子供達の真心のこもった銘石である
武津区建立  

 文脈に乱れがあるので、肩すかしを食う箇所が幾つかあります。せっかくの「岩本諏訪市長の書」も、…これでは。撰文者との距離を感じます。苦情を書くのはこのくらいとして、男性の話にあった「灯台の話」は、こんぼった石には関係ない「秋葉神社の灯火」と理解しました。

 このままでは私の気が済まないので、お節介にも、こんぼった石に関係ある部分に句読点を付けて読みやすくしてみました。なお、直接には関係ない箇所は抹消としました。

 昔この付近が湖水であった頃鷹津と呼び入り江であった。その後竹津と呼び何時の間にか武津と呼ぶ様になった。我々の祖先が漁に出てこの石を舫石にした。現地より北三十米山の手に有った。
 夜遅い時には秋葉神社の灯火を頼りに帰舟した。区民一同廻り番で毎夜灯火したもので有る。
 この石は我々の先祖が漁に出て帰りを待つ子供達が、淋しい思いをしながら青草を石でつきつき遊び乍ら父母の無事な帰りを待ったと云う。この石は村人達には通称こんぼった石と呼ばれ親しまれて来た。子供達の真心のこもった銘石である

 碑文中の「この石を◯石にした」の◯の部分が読めません。舟偏で調べると「方」が当てはまりました。今度は「舫」で調べると「もやい」でした。舟をロープなどで繋ぐことを「もやう」と言いますから、「舫石」が探していた「舟繋石」と確定しました。
 試しにネットで「舫石」を検索したら、各地に残っているその石が写真と文で表示しました。何れも大石で貫通した穴が空いていますから、武津の「こんぼった石」は、「舫石」または「舟繋石」とはイメージの大きなズレがあります
 「銘石こんぼった石」の由来が心許ないので、諏訪四賀村誌編纂委員会『諏訪四賀村誌』の〔武津〕から抜粋して転載しました。

 秋葉神社の常夜燈の台石が残っている辻をちょっと上った所にあったこんぽうた石〔 昭和五十三年(一九七八)公民館前広場へ道祖神を祭るとき、現在地へ移す〕を、舟つなぎ石であったという言い伝えも残っているので、この辺が諏訪湖であった頃、人家は裏の高い丘の辺にあり津(ふなつきば)より高いところにある村ということから高津と呼ばれたのが、武津の起こりではないかと思われる。

 碑文にある、秋葉神社の「灯火」が常夜灯であることが明解にわかります。

「コンボータ・こんぼうた・コンボウタ」

【コンボータ】
砂土を寄せ集めて山を作り、くぼませて水を入れ、泥ダンゴを作る。
諏訪四賀村誌編纂委員会『諏訪四賀村誌』〔四賀地区の民俗〕
【こんぼうた】 乾いた土に水を与えて泥の椀をつくる子供の遊び、窪み、くぼたみから転ず、くぼはめぐり高く、中央低きところ、土を山形に盛り上げ、ひじにて中央を押してくぼみをつくり、水を入れれば泥の椀が出来る(※原文ママ)
岩波泰明著『諏訪の方言』
小原の辻道祖神
 双体の道祖神で、頂上部に小さな窪みがある。通称は「コンボウメの穴」と呼ばれる。子宝を願ってたたいた跡が穴になったものである。「コンボウメ」は女児を「コンボウタ」は男児を願い唱えながらたたいたもので、古い時代の社会と嫁の悲哀を物語っている。
米澤村村史編纂委員会『米澤村村誌』
 日影室内道祖神のコンボーメ(タ)跡(子供たちが小石でたたいて掘った穴で、台石に丸い穴がいくつもある)も見事である。
原村『原村誌下巻』〔石造物と仏像〕

 四編に共通しているのは「窪み」です。一般的には「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ばれ、神社や路傍の石造物にこのような円錐状の穴がよく見られます。武津の皆さんはこれを“銘石”に仕立て上げましたが、(私には)とても…。

‖サイト内リンク‖ 文中に出る秋葉神社(子の神社・秋葉社)