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壺井八幡社 茅野市玉川山田 18.8.20

 最短距離として選んだ夏草で覆われた畦道が終わり、新たに、川の流れに忠実に従って緩く蛇行する舗装の帯に身を任せます。その道を支配する神に急(せ)かされるのか、どうしても脚の振りが大きくなってしまいます。

壺井八幡社の杜

 右から左へ、八ヶ岳の広大な裾が田一枚ごとに標高を下げ続けています。時折、強い風が稲穂を押さえるようにその通り道を波立たせるのが見えます。立ち止まってその行方を見届けるのも、「そろそろ秋の気配が」という感傷の表れなのでしょうか。
 徐々に目的とする濃い緑塊が大きくなると、その中に幹の色を識別できるようになりました。八ヶ岳を背負って杜の前に立つと、背中を見せている建物が社殿であることを確信しました。

壺井八幡社

壺井八幡社 ここも山神社と同じで、境内の短軸方向の北側が参道入口となっていました。新しい鳥居をくぐり、クランク状になった参道の先に現れた、今は完全に水気を失った川をまたぐ石橋を渡ると、覆屋の正面でした。
 左に茅野市が設置した案内板があり、何と「壺井八幡社」とあります。突然の出現に「壺井さん、ここにいたの」と、つい人格表現になってしまいました。
 今、地元のケーブルテレビの特集で「立川流の建造物」を放映しています。その中で壺井八幡社の名は覚えましたが、地元ではないとの先入観から、鎮座地は耳から耳へ抜けていました。それが、「神社の杜らしきものが見えるので確認しよう」というだけでここへ来たので、その壺井八幡社が突然出現したことに驚きました。

壺井八幡社本殿 ここにも監視カメラがあり、その旨が書かれています。(多分)ダミーと思いながらも意識してしまうので一定の効果はあるのでしょう。案内板には、抜粋ですが「山田新田草創当時産土神として勧請された神社で、祭神は誉田別(ほんだわけ)命・大山祇命。文政七年(1824)に現社殿が建築された」とあります。
 賽銭箱の上から扉を通してカメラを向ける姿は、山神社と全く同じです。写真は八幡神である誉田別命の社殿です。これが「二代目・立川和四朗富昌作」と言われても「ああそうですか」がオチなので、向拝柱がどうのこうのという話は省きます。
 一通り境内を巡ってから覆屋の左を見ると「○○寺影向石」と彫られた石柱があります。中程の字が「寺」で造りも墓石に似ているので、神仏習合の名残と思いました。初めて目にした「影向石」に興味を持ったので、メモ代わりに撮影しました。

幟枠と山田の神石(信玄の休み石) 社地北東の辻(交差点)に、細かい文様が施された天保十三年(1842)とある大きな幟枠があります。その脇に、下部が深く埋まっているようには見えませんから、「デイダラボッチ(伝説の巨人)がどこからか運んで置いた」かのような大石二つがあります。最高部で私のヘソ上10pでした。何か曰わくがありそうな、磐座としても充分通用する黒石です。これだけ目立っている石だから調べれば直ぐ分かる、と壺井八幡社を後にしました。
 自宅で、影向石をモニター上で拡大すると「天地海原・衆神等影向石」とあります。「寺」と読んだのは「等」で、寺院とは全く関係ありませんでした。

影向石

壺井八幡社境内「影向石」 頼りにしていた『茅野市史』ですが、壺井八幡社自体の記述は少なく、一番気になっていた大石や影向石は全く載っていません。
 ネットで検索すると、衆神は「もろかみ」とふりがながあるので、諸々の神と解釈しました。「ようごうせき」とある影向石は、「神が降臨する際に御座(みくら)とする石」で、造園関係のサイトでは「庭園内の中島のことを影向島といい、そこに据えられた石のことを影向石という。またこの影向島に架けられた橋のことを影向橋という。影向とはそもそも神仏の来臨のこと」とありました。
 ここまで書いて、写真の石柱自体が影向石なのだろうか、と疑問が湧きました。左隣は石の祠ですから無関係です。神が降臨する石に文字を刻むのはもっての外ですから、かつて、磐座に相応しい石が近くにあったのでしょうか。ここで閃いたのが、境外にある謎の大石です。遙か昔は、その前か横にこの「影向石」が立っていた…。

信玄の休み石

山田の神石(信玄の休み石) 謎の大石は「山田の神石(信玄の休み石)」とわかりました。その出処は、なんと、原村図書館蔵『原村郷土史U 踏査記録』です。原村の郷土研究会世話人・牛山甲子恵さん手作り資料の中で見つけました。
 それによると、「10年くらい前に圃場整備で10mほど移動した。輝安山岩で、周囲6.8m現地上高1.1m」とあります。参考文献の古文書も併記してあり、武田信玄の軍用道路「中の棒道」が通っていて、この石の側で休憩し茶の湯を点てた、と紹介していました。

壺井八幡社「鳥居額の残闕」 25.5.13

壺井八幡社の鳥居額 境内社の玉垣内に何かの石造物が置かれています。覗き込むと、…鳥居額でした。ジーッと石の表面に目を据え、その模様を文字に変換すると「八幡宮」でした。現在の鳥居は新しいので、古くからの鳥居が崩れた際に、落下の衝撃で割れたのでしょう。廃棄することができず、ここに納めたと考えました。