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津島神社 岡谷市新屋敷 23.12.18

 「岡谷市には、六叉路の交差点がある」と言っても、そのことを口にする人はいません。その一角に「有名な天王垣外遺跡があり、諏訪で最大の石祠がある」ことも、“好事家”以外には知られていないでしょう。

津島神社

津島神社と御柱 境内にケヤキの大木があります。師走も半ばとあっては、大量にまき散らした落葉も風で吹き寄せられて斑模様を作っていました。
 本殿前に「祭神は建速須佐之男神(命)[素盞嗚尊]を祀り、新屋敷(あらやしき)天王森に位置し岡谷の重要な古祀である」で始まる「津島社由緒」があります。帰りに寄った図書館で、その原典が平野村『平野村誌』とわかったので、ここでは、『村誌』の記述を“採用”しました。

 新屋敷天王森にあるが、岡谷の重要な古祀である。古来上天王宮と称し、天王祝の奉仕する所であった。「小社神號記」には『明暦二年(1656)ト銘アリ大石寶殿。古来ヨリ累年六月十五日略祭アリ』とあってその石祠は郡内最大のものといわれている。境内には今も尚欅の大木が一二残っているが、昔は一層巨大なものがあったようで、「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」に『新屋敷天王社神木切口差渡二間之有、上方より山師来て買候』とあり、又「林多仲日記」には、弘化二年江戸本丸普請に用材として上天王けやきを伐られたことが記されている。
 尚この社地附近が先史原史時代遺跡地として著名であり、又南北朝時代宗良親王に関する伝説をも有することは後章に述べる通りである。

 本殿後方に、由緒には「先史原史時代遺跡地」とある、岡谷市教育委員会設置の「天王垣外遺跡」の案内板があります。「勾玉66点・管玉286点など計362点が発見された」とありますが、詳細は、永久に来ないであろう“またの機会”としました。

津島社本殿

津島神社本殿 壇上に上がることには抵抗があります。しかし、玉垣が邪魔となって下から仰ぐだけでは詳細が確認できません。入口がオープンということもあって、拝礼を済ませてから石段を登りました。
 石祠では初めて見る鉄製の扉に、あれこれと想像が膨らみます。その両側に文字が刻まれているのが確認できますが、表面が粗いので読み取れません。由緒にある「明暦二年」を探しましたが「丁」の一文字がわかっただけでした。

津島神社 鳥居の正面から長手の境内を撮ってみました。現在は“疎林”という状態なので、かつては鬱蒼とした森であったとは想像もできません。
 背後が「六叉路」という変則交差点です。新旧の道が入り交じっているのは間違いありませんが、《すべての岡谷の道は、ここに通ず》とも言えそうな重要な場所であったとも思ってしまいます。
 出がけに、本殿の大きさを測ろうとメジャー持参を考えました。しかし、「諏訪郡内一の大きさ」を謳っているので何らかの資料に載っているはず、と(見つからないこともあって)断念しました。ところが、帰りに寄った岡谷市図書館にある蔵書には「本殿の寸法」を記したものは皆無でした。

 後日測ったのが以下の寸法です。

基台を含めた高さ 174cm
屋根の長さ(前後) 162cm
屋根の幅(前部)  129cm

津島社の沿革

 岡谷市図書館に、区誌編集委員会『新屋敷区誌』を見つけました。ここに津島社の年表があったので抜粋して紹介します。

1237 牛頭(津)天王〔天王の名初見〕

1733 牛頭天王2ヶ所表示あり(小尾口・新屋敷)〔天王祝と称する専属の祝があり奉仕していた。天王祝は村地図によると間下村に天王祝屋敷の記載あり〕

1771 岡谷村(本村)の宮社数六ヶ所の中に「牛頭天王」が入っている。〔岡谷村本村の所管であることを示している〕

1783 津島社は高島藩二之丸家老の氏神として城内にあったが、切腹事件後に給所のこの地に移したとの伝承がある。

1845 古くは上天宮・上天王、江戸中期には牛頭天王、明治の頃は津島天王・津島社と呼ばれていた。

1906 新屋敷村各性の祝殿は天王森に勧請してあったが、明治39年に、全部円乗院屋敷へ移転遷座された。〔鉄道の駅舎位置の問題がからんでと言われている〕

※ 表記に“ゆらぎ”があるので、一部書き替えてあります。

 この沿革を読むと、「“天王”森」は「牛頭天王」が由来とわかります。また、「切腹事件(二之丸騒動)」で派閥争いに敗れた諏訪大助が領地であるこの場所に氏神・津島社を遷したことで、牛頭天王社の名前が“駆逐”されてしまったことが見えてきます。牛頭天王社=津島社ということもありますが、かつての栄光と社殿の大きさと、何よりもこの地を治めていた実績が神社名の変更を可能にしたのでしょう。この流れで、最上部の写真に見える津島社左の「小祠が牛頭天王社」と理解できました。さらに、神社の境内に付きものの境内社や祝殿がまったくないことも頷けました。

 小口伊乙著『土俗より見た信濃小社考』から「津島社」の章を一部紹介します。

 さて新屋敷天王森の津島社は、もと諏訪大助の氏神で、諏訪高島城内二の丸に祀ってあったものを二の丸騒動の後、諏訪大助の領地であった現在の地に移し祀ったものとする伝承がある。
 (二の丸騒動の顛末は略)
 諏訪大助の切腹の後、二の丸家の氏神であった津島社も二の丸から大助の領地であり大助の百姓であった岡谷へと言うので、上諏訪から湖上を天王森に移したのであったという。