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浦野太郎神社[浦太郎2] 岡谷市東銀座 22.11.22

 岡谷市の住民でも興味を持てない私だけのこだわりローカルネタですが、よろしければお付き合い下さい。

今井村の絵図にある「浦野太郎」

 享保18年(1733)に描かれた村の絵地図・諏訪史談会編『復刻諏訪藩主手元絵図』を眺めていると、今でも「今井」で通る旧今井村の最下部(村境)に「浦野太郎」と書いてある赤い鳥居に気が付きました。
浦野太郎社 そもそもの出発点が「浦太郎社小まき中」だったので、「野」が余分ですが「○○の××」とすれば正(まさ)しく「浦太郎」です。ところが、岡谷市民ではないハンデと江戸時代の概念図のような村絵図とあって場所が特定できません。
 かつて「浦太郎」で検索して挫折していましたから、「岡谷市 浦野太郎」で再検索を試みました。その結果、二件だけですが、『岡谷市』のサイト「岡谷市指定・登録・埋蔵文化財分布図」の説明の中に「浦野太郎神社の欅」を見つけました。それをクリックすると、「緑地・天然記念物」の地図に「小井川宗平寺公園」と「浦野太郎神社の欅」が並んでいます。

 「これだ」と確信しましたが、高圧縮した「pdf画像」なので、拡大してもフォント(文字)の品質は変わりませんが地図の方は完全にボケて場所が特定できません。かろうじて青味が残っている線らしきものを「横川」と判断し、新たに開いたネット地図でその辺りを参照しました。すると、何年か前に「御社宮司降祭」を見学した小井川「平成会館」の近くとわかりました。パーソナルな浦野太郎神社は無理としても、「宗平寺公園」なら現地で聞けばわかるだろうと、その名前をメモしました。

浦野太郎神社参拝

 岡谷市民なら、小井川区民限定の平成会館より「小井川だるま堂」のほうが知名度があるでしょうか。今日は、確信があったわけではありませんが、その北側の道を選び「とにかく横川へ」と堤防を目指して道なりに歩きました。尋ねるまでもなく、水処理関係と思われる施設の隣に「宗平寺跡」があり、子供の歓声が挙がる小公園がありました。
浦野太郎社 「さて神社は」と見回すと、「私道駐車禁止」と書かれた先にこの辺りでは抜きん出た大木が見えます。徒歩と言えど「私道」ですから、道端を小さくなってその奥へ向かいました。浦野太郎神社で大当たりでしたが、フェンス(玉垣)で囲われた境内裏という場所なので中に入れません。先ほど気づかずに通った道まで戻ると、「神社があるよ」と知らせてくれる幟枠もない民家の間の小路が参道でした。

浦野太郎社 玉垣の内側では、吹き寄せられて底なしと思えるほど落ち葉が積もっています。それを避けて端まで寄ると、小さな御柱ですがようやくその全景を撮ることができました。
 新しい黒御影石の社号標に「正一位稲荷・浦野太郎神社」と刻まれています。予想外の「お稲荷さん」に少し構えてしまいましたが、八ヶ岳の麓から諏訪湖の反対側まで来た甲斐がありました。その標柱の裏と平成の鳥居や灯籠に「武居」さんの名が刻まれています。「巻が武居氏」ということでしょう。
 帰りは、その道中に幾つもある“大小”の神社を参拝しながら岡谷市図書館に寄ってみました。小井川区誌編纂委員会『小井川区誌』があるので早速開くと、神社ではなく「まきの祝殿」の項に浦野太郎神社ありました。しかし、『区誌』とは「稲荷神社」で一致しますが、巻は「宮坂同族」になっています。血縁関係があっても武居さんが宮坂さんの氏神に寄進するのは不自然です。ここで、「巻が違う」という新たな疑問点が浮上しました。

小井川村の「浦野太郎神社」

宗平寺 改めて、現地で確認した「小井川の浦野太郎神社」を「小井川村」の『絵図』で確認してみました。ところが、「宗平寺古跡」はありますが、その上にあるはずの「浦野太郎神社」がありません。
 絵図の正確な場所を特定しようと、上部に書いてあるお寺の名前をルーペで拡大すると「徳蔵院」と読めました。「徳蔵院 岡谷市」でサーチすると、諏訪の地元紙・長野日報の2009年2月7日付けの記事に「縁起物求めにぎわう きょうまで岡谷だるま祭り」の見出しで見つかりました。

 福を呼ぶ岡谷市の春の風物詩、第57回岡谷だるま祭りが7日、2日間の日程で同市東銀座一のだるま堂で始まった。雲一つない青空が広がった初日は、縁起物の福だるまを求める市民らでにぎわった。最終日の8日は古だるまを焼く浄焼式が行われる。(中略) 祭りは同市小井川区(山田英夫区長)などが主催。1952年から続いている。現在の小井川区民会館の場所にあった金光山徳蔵院(1872年廃寺)の住職が同院本尊の「だるま尊」を模して福だるまを作り、福を求める人たちに授けたことに由来する。(後略)

 小井川区民会館=徳蔵院から絵図の具体的な位置関係がハッキリしたので、「小井川の浦野太郎社」は『絵図』には載らない「巻の祝神」ということがわかりました。


‖サイト内リンク‖ 今井『浦之太郎稲荷大明神』