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浦之太郎稲荷大明神[浦太郎3] 岡谷市神明町 22.11.28

 小井川の浦野太郎神社を参拝できたので、そのきっかけとなった諏訪史談会篇『復刻諏訪藩主手元絵図』の今井村を開きました。

今井村の「浦野太郎」

浦野太郎社 左の「鎮守十五社明神」は現在の「今井十五社神社」なので、「浦野太郎」は「塚間川」沿いにあることがわかります。また、浦野太郎の境内木と見られる大樹の左に「岡谷村分」「間下村境」と読めます。「現在の神明町と山下町の境近く・塚間川沿い」と具体的な場所が現れたので、旧今井村の浦野太郎へも行くしかありません。
 「早々に結論ですが」と書くと、お察しの通り、浦野太郎は見つかりませんでした。予想した地点と塚間川の西側を重点的に歩いたのですが…。帰りに、明治の神社合併で移転があったと考えて、旧今井村の鎮守社「今井十五社神社」へ寄ってみました。通常は村内から集められた神社が「境内社」として並んでいますが、ここでは津島社と蚕玉社だけでした。この少なさから他の神社へ移ったことも考えられますが、浦野太郎が極めてパーソナルな名前であることから、祀る人が絶えて廃社になった可能性を考えました。

浦之太郎稲荷大明神を発見

 時間が空くと、つい『絵図』を広げてしまいます。図書館への返却日が迫ってきたので、最後の“あがき”ではありませんが、今井村と岡谷村を交互に眺めながら共通点を探してみました。しかし、やはりと言うか、現在の地図と違って「村境」を合わせてみても、間に他の村が割り込んだかのように繋がりが見えてきません。
 その繋がらない村境を丹念に比較していくと、これは諏訪の人しか通じませんが「市営岡谷球場へ登る道の北側ではないか」と思えてきました。そこで、「Mapion」を使って、旧間下村の名が残る「間下十五社神社」から上(北)へスクロールしてみました。
 「…これまでか」と諦め掛けましたが、残った「1/1500」に切り替えると、見事に「浦之太郎稲荷大明神」が表示しました。「何だ、塚間川からかなり離れているではないか」と江戸時代の地図に文句をつけましたが、…もう行くしかありません。

浦之太郎稲荷大明神参拝

御社宮司神社元社 一様に新しい家が建っている分譲住宅地内の道を、突き当たりの山を目指して進みます。すぐに、行き止まりの斜面に鳥居が見え、近づくに連れて、その背後に展開しているのが神号碑や石祠とわかりました。
 地図に表示した名称と同じ社号標から、その登り口(写真左)にあるのが「浦之太郎稲荷大明神」とわかりました。しかし、「山の中腹にある平地に神社が一つだけ」と想像していたので、その神社とは一線を画す神社群に戸惑いました。とりあえず、見本市のような神号碑や石祠が何であるのか確認することにしました。
 一巡りしましたが、旧村内からかき集めてきたかのような石祠や神号を彫った石碑であるのがわかっただけで、それらを“統括”する神社名がわかりません。帰り際に、鳥居額はありませんが柱の裏に「今井区」と刻んであるのを見つけました。今井区の産土社は「今井十五社神社」です。先週その神社を参拝したときに、広い境内に「津島社」一社しかないことに疑問を持ったのですが、これで、理由はわかりませんが、「雑社」と言われるこれらの神社をこの地に一括して祀ったことが想像できました。

浦野太郎社 「浦之太郎稲荷大明神」です。中には「…荷大明神」と書かれた幣帛が納めてありました。身舎の裏には「平成十年十月吉日建」とあるので、御柱年でもあるこの年にすべてを一新したことが想像できました。これ以上の“身分証明書”はないという「社号標と幣帛」から、目的とする「稲荷神社」であることは間違いありませんが、この神社を祀る「巻(同族)」の名は刻まれていませんでした。
 この稲荷神社を始め、すべての神に御柱を建ててしまう諏訪人に呆れながらも納得して、日の当たる舗装道路上に立ちました。それにしても、「浦之太郎」とは一体“何者”でしょうか。


‖サイト内リンク‖ 西堀『浦之太郎稲荷大明神』