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小井川の浦野太郎神社2[浦太郎5]岡谷市小井川 23.7.29

 『小井川区誌』に、区内の神社を示した地図が載っています。その中に浦野太郎社がありますが、如何(いかん)せん、神社名の付箋を貼り付けた地図を印刷したものなので、その下が“空白地帯”になっています。そのため、道路地図を併用してその場所を特定しようとしましたが、「小井川」は岡谷市の詳細図からは外れていました。
 しかし、ここは図書館なので「住宅地図」があります。書架には見当たらないので職員に問うと、カウンター内にあるものを渡されました。「閲覧はカウンターで」という条件なので、手持ちのカメラに“移す”方法が使えません。隣の人は電話帳を筆記しています。小耳にとまった会話では「個人情報はコピーはできない」ということなので、住宅地図も「然り」ということでしょう。
 該当地を住宅地図上でサーチすると、鳥居の凡例を表示した「スペース」が二ヶ所見つかりました。その一つには「浦野太郎」と並記してありました。

浦野太郎社

 書き写したメモ同様の地図を参照しながら、一つの小路に入ります。大きな緑塊が見えたので目的地であることを確信しましたが、その場所は神社の裏でした。一段下がった境内には草が盛大に茂っています。ショートカットで飛び降りることを考えましたが、足をくじいて「お稲荷さんの祟り」になっては困るので、思い切りよく道を一本戻りました。
浦野太郎神社「鳥居」 褪せた赤色が残っている鳥居は、腐食した片方をそのままにして固定した、としか考えられないほど傾いています。その下を覆うフサフサと茂った葉先に、先ほどパラついた雨脚の跡が露となって残っています。スポーツサンダルという足ごしらえなので、足先の濡れを嫌い片足だけ隣家の私道を拝借しました。

浦野太郎神社 覆屋の扉に、鉄板の「剣」とそれを模した板が二枚懸かっています。右側にある雨風で黒く汚れた笏状の板には、明日にもその色と同化してしまいそうな墨痕が確認できました。その中の一つが「浦」と判読できたのは、もちろん、浦之太郎に該当する字がないかと探した結果です。
浦之太郎神社 覆屋の内外が赤く塗られています。赤色と祠内にあるキツネの置物から、左が浦野太郎社とわかります。しかし、格子の間から観察しても石祠には祭神の手掛かりは見つけられません。剣形の奉納品から「山の神」とも思えますが、この周囲には山はありません。

 隣家に、私の動きとは没交渉に何かの作業に励んでいる女性が見えます。このまま帰るのももったいないので、思い切って声を掛けてみました。生の声で浦野太郎神社と念押しができましたが、“隣の神社”であっても、詳しいことは知らないと返ってきました。それでも「講が幾つかあって年二回ほど大勢参拝に来る」と聞き出せました。「この先に◯◯という講中の家があるから聞いてみたら」とアドバイスがありましたが、「岡谷市における浦太郎神社の考察」という大げさなことを書くつもりはないので、気持ちだけを頂いて神社を後にしました。

稲荷浦野太郎社

浦野太郎神社 「突き当たりに道がない」とは変な表現になります。「ないから突き当たり」になるのですが、代わりに空き地が広がっているので、そのまま突き進むことはできます。そのような、概ね住宅地図で想像していた通りの景観でした。
 その一画にある生け垣から木製の玉垣が覗いているのを見て、今日最後になる浦野太郎神社の“上がり”を知りました。こちらも「神社の裏」という“何か化かされたような”結末になりましたが、これは、書き写す際に、詳細すぎる住宅地図の細道を省略したことが原因でしょう。
 脇の小道を通り、鳥居から入り直しました。新しい幟枠があり幟棒も完備しているので、今でも例祭があり幟を立てていることが想像できます。

浦野太郎神社「本殿」 『区誌』と「住宅地図」の併用ではここが浦野太郎神社ですが、それを証明するものが何もありません。鳥居には額がなく、柱に「山岡氏」と彫られているだけです。プライベートな祝殿(いわいでん)なので、外部に知らせる必要はないのでしょう。たまたま「物好きな部外者が来て勝手に悩んでいるだけ」という図式に違いありませんが、ここは一つ、神社名だけは表示して欲しいところです。
 帰りは表参道から堂々と退出しました。「表参道」と言っても民家の間にある“人道”ですから、車道を歩く限りはこのような神社が目に触れることはありません。「知られざる神社が小路の向こうにある」と、今回の参拝を振り返ってまとめてみました。


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