諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪の神社メニュー /

賀茂 浦野太郎社[浦太郎6] 岡谷市小井川 26.9.15

 近似名と、加茂町と小井川賀茂神社に隣接ということで「賀茂浦野太郎社」としました。

 小井川区誌編纂委員会『小井川区誌』から、私には未参拝となっている浦野太郎社が載る地図の一部をお借りしました。
浦野太郎社地図 ご覧のように、神社の「ラベル」が数多く覆っているので、地図としての用をなしていません。地元御用達の『区誌』ですから、地理不案内な人がこの地図を参考に参拝するなど想定していないのでしょう。これでは、浦野太郎社は、小井川賀茂神社の左(西)側としかわかりません。

 「小井川の浦野太郎全社制覇」と声を挙げましたが、改めてその日を確認すると、二年前ではなく四年も前でした。余りの昔日に、何かキツネにつままれたような気がしましたが、対象が稲荷神社…、ということには関係ないようです。
 夢枕に立ってくれないなどと一向に稲荷神の招きがないことを言い訳に、岡谷市の小井川からは遠ざかっていました。その直接の原因が冒頭の「鎮座地不詳」ということですが、この件に決着をつけようと地図に推定地の印をつけ、こちらから押しかけることにしました。

最後(四社目)の浦野太郎社

 予定通り北側からの道をたどりますが、地図にある「御前荒神・鎮明神社」を見つけることができないまま小井川賀茂神社に突き当たってしまいました。
浦野太郎社 左に社殿を見ながらさらに進むと左方に二之鳥居が現れ、正面に(説明しにくいので)写真の物体が見えました。どこにあったのかは忘れていましたが、木の洞(うろ)に祠が安置してある面白い“様式”はよく覚えています。
 その時は「変わった稲荷社」としか評価しなかったのですが、再びこの前に立ってみると、「もしかして、これが浦太郎」と思わせるものがあります。しかし、“覆屋”の木肌と木柵が赤く塗られていても、奥に見通せる小井川賀茂神社も玉垣の一部や木製の灯籠などが同じ赤で塗装してありますから、稲荷社であるとは断定はできません。

浦野太郎社

 地図を取り出し、「御前荒神・鎮明神社・浦野太郎社」で覆われた下の道を想像しますが、相変わらず霧の中です。取りあえず賀茂神社を表敬参拝するために境内に入ると、右前方に「鎮大明神」の木札があります。これは「鎮明神社」はすでに境内社へ参入ということですから、見当たらなかった御前荒神も境内へ移転した可能性があります。そのため、写真の赤い神社が「浦野太郎社」ということになりますから、第三者に判定してもらうことにしました。ところが、待てど暮らせど、誰も現れません。

浦野太郎社 取りあえず写真を撮っておこうと、祠の中を覗きました。もちろん、ここはお稲荷さんの可能性が極めて高いので、ていねいに拝礼を済ませます。神仏の加護や祟りがあるなどまったく思っていない私ですが、それでも少しだけ慎重になってしまいます。
 幣帛の背後にある木札に「覧」に似た文字を見つけました。しかし、一文字だけでは私の持てる辞書は反応しません。結局は、隅々に目を光らせても稲荷社や浦太郎に関連するものを見つけることはできませんでした。

 祠の周囲は駐車場になっています。その片側にある一軒家のチャイムを鳴らしましたが、子どもと母親からは「知らない」という言葉が返ってきただけでした。二軒目は応答無しで、三軒目はやや古屋という家に目を付けました。
 玄関前をモルタルで補修をしている男性に声を掛けますが、当然ながら手が離せないという状況です。「作業をしながらで」と断ってから「前に見える、木の洞に入っている祠は浦野太郎社ですか」と問いかけてみました。「そうだ」という返事でしたが、私とすれば重要な案件なので、くどいと思われても同じ内容で再確認してみました。
 変わらぬ回答に、(ここ20年以上も牌に触ったことはありませんが)心の中で「ロン」と声を挙げてみました。通常は「ビンゴ」ですが、その場合は自分の努力が介在できない運任せの結果です。やはり、ヤミ聴ではないリーチを掛けた上での満貫に匹敵するロンが相応しいとしました。

 自宅で『区誌』の神社番号を参照すると、「浦野太郎社・勧請年代不明・宮坂同族・小社神號記に記録あり」と確認できました。たまたまシリーズ物になってしまった浦太郎神社は、言うなれば「他人の家の神棚を勝手に覗いて勝手に紹介している」ようなものですが、「浦太郎さん」は許してくれるでしょう。

小井川賀茂神社

 せっかくなので(参考までに)、小井川の鎮守社である賀茂神社を紹介しました。岡谷市の文化財になっています。


‖サイト内リンク‖ 文献に見る「浦太郎」