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矢澤稲荷社 諏訪市神宮寺 27.11.30

 鳥居の額束に、「大山祇命・一位矢澤稲荷社」とある神社です。大祝邸の周辺を探索する中で見つけました。それから何年も経ってしまいましたが、このところオオカミやイヌの石造物を紹介していることもあって、“イヌ”の狛犬があるこの神社を「諏訪市の神社」として紹介しました。

矢澤稲荷社

 案内板に「祀主が冠木門の家」とあるので、双方を撮ってみました。

矢澤稲荷社と矢澤家

 社前にある案内板『矢澤稲荷社』を紹介します。何分にも長文なので、分割して項目名を付けてみました。設置者名はありません。

 明らかに誤字とわかるものは訂正しました。

祭主は、高島藩の山目付

 覆屋の右側に大山祇の神、左側に稲荷神、中央に氏神を祀っている。この社の元々の祀主矢澤家−前の冠木門(かぶきもん)の家−は徳川から明治維新まで、高島藩の山目付の職にありました。大山祇の神を祀ったのはその事に由来し、又一方では古来より上金子上村(わで)の長(おさ)(名主ではない)でもあっだので、五穀豊饒を願い稲荷神(倉稲魂神)を祀り、少し控え目に祖先神を祀ったものと考えられます。

本殿と神紋「梶」

 二つの本殿は欅造りで、表虹梁には建立当時、彩色も施された龍が彫られ、梶の紋もついた文化財としても価値のある立派なものです。

矢澤稲荷社 ワイド端でも、大山祇社と稲荷社の二棟を撮ることができません。まったく同じ造りなので、稲荷社の全体と、大山祇社の彫刻(下写真)を載せました。
 右下に屋根の一部が写っているのが「祖先神を祀り」とある祠です。

大山祇社 御扉を確認すると、確かに「丸に諏訪梶」が彫られています。個人の祠に諏訪家の紋はあり得ませんから、大祝家から拝領した、または寄進されたものと考えてみました。

「諸国一宮附」

 前面の「諸国一宮附」の額には、加茂神社、山城国愛宕郡(奈良)に始まり、四国、九州の端までの全国の一之宮の社名と所在地と、天保三年諏訪氏神頼寿謹書・花押が彫られています。

矢澤稲荷社「諸国一宮附」 覆屋の扉の上に掲げられた「諸国一宮附」の額です。写真は左下の部分で、「(和多キ美神社)對島(対馬)嶋上縣郡」と「諏方氏神頼寿謹書/敬白」が読めます。天保四稔(年)の奥書がありますが、傷みがまったく見られないのが不思議です。目測ですが、額が壁面から80度下向きに取り付けてあるので、それが風雨を防いだと考えてみました。
 「諏方頼寿」を調べると、諏方大祝の十一代目です。また、(以下に出る)大祝頼武追善供養の句会のこともありますから、矢澤家の先祖が、大祝家とかなり親密な関係であったことがわかります。本殿の「丸に諏訪梶」紋も、それを物語っていると言えそうです。

奉献句合額

 中に奉献句合の額があります。これは慶応元年六月に三十二才で逝去した大祝頼武公(雅号栗之本)の追善供養の句会が慶応二年二月に矢澤家で執り行こなわれ奉献されたものです。三十五人、三十五句があり、その雅号の人の出身地は、近隣は文出・神宮寺、遠くは玉川・豊平にまで及んでおります。学問の一つの中心地であった事を知ることができます。

奉献句会額 「句合」は「句会」の間違いとしていました。ところが、何気なく額を拡大したら、…確かに「合」と読めます。案内板は正しく伝えていたことになりますが、誤字とする考えは変わりません。念のために「くごう」で変換すると、あらぬ文字列を表示します。「やっぱりね」と、それでもネット辞書に「句合」を打ち込むと、

句合 くあわせ
歌合(うたあわせ)にならい,左右に分かれた組から一句ずつ発句を出して優劣を競うもの。その優劣は判者が判定する場合と衆議判による場合とがある。
『コトバンク』

とありました…。

 石の鳥居には紀元二千五百三十三年(一八七三)矢澤柳平道幾と彫られていますが、三年前の明治三年に平民にも氏・姓が許されたので、武士のごとく名乗ってみたその喜びが伝わってくる記念すべきものなのです。

狛犬は、イヌ? ヤマイヌ? キツネ?

 犬とも狐とも判断に苦しむ狛犬です。大山祇の神は山犬、稲荷神は狐で、奉献した作兵衛さんも石工も困った困った。何か心情が伝わってくるほほえましい狛犬です(※?)

矢澤稲荷社 覆屋の前にある“狛犬”です。台座には、それぞれに「願主矢澤作兵衛」と「明治十一年十二月矢作兵衛」が彫られています。手持ちのスケールでは、長さ44cm・巾16cmで、基台からの高さは35cmでした。
 案内板には「困った困った」とありますが、当事者は承知の上の製作・奉献ですから、困ることはまったくありません。「参拝した人が勝手に当惑しているだけ」と思いますが…。

矢澤稲荷社の狛犬

 私は、願主が代々の山目付であることから、役職を離れた今「山の巡検にオオカミ除けとして飼っていた犬をモデルにした」と想像してみました。

境内碑

 境内にある石碑のすべては上村の辻の北側に道祖神を中心に並び建っていたものです。昭和二十二年進友会館建設時に、道祖神と子育観音を現在の位置に、筆塚を矢澤家の入口に残してここに移されたものです。
 この社は矢澤家の敷地に建てられたもので、例祭は毎年三月末の日曜日に行こなわれる甘酒祭りです。

矢澤稲荷社境内碑 すぐ近くに進友会館(廃屋)がありますから、その交差点が「上村の辻」と知りました。しかし、地元の人に、今でもこの呼称「わでのつじ」が通じるでしょうか。
 案内板の末尾に「この社は矢澤家の敷地に建てられた」とあるのを読んで、勝手に私有地に入っていたことがわかりました。一言断るべきと思いましたが、大げさのようにも思えるので、そのまま立ち去りました。