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七社明神社と御別当大明神 茅野市玉川神之原

 「御別当大明神に関わる置き石 七社明神社(しちしゃみょうじんしゃ)で24日遷座祭」とある、新聞の見出しに注目しました。

 置き石は区画整地内の細い道の脇にあった。横には、表に「史跡 御別当宮跡」、裏に「神之原区」と記された石の標柱が立っていた。ほ場整備の工事に支障があるため取り除き、七社明神社の中心的な神様で粗末にできないとして、置き石は境内に仮安置。標柱は、ほ場整備完工後、元の位置近くに再び立てる計画という。
6月22日付『長野日報』から抜粋

 以前より七社明神社の本殿を拝観したいと思っていたので、「タイミングよし」とその神事を見学することにしました。

七社明神社「大祓式」 30.6.24

七社明神社 神事前の余裕ある時間を使って、まず、茅野市指定有形文化財の本殿写真を確保しました。この時は気が付かなかったのですが、光源が白熱灯だったのでホワイトバランスが狂っていました。
 「この機会に」と下部を覗き込むと、浜床の下は玉砂利敷きでした。全体的に“粉っぽく”見えるのは、そのためでしょうか。この一間社流造の本殿は大隅流の棟梁伊藤長左衛門の作ですが、その詳細は省きました。

七社明神社大祓式

 11時から始まった「大祓式」は、20分強で終わりました。「(夏越の)大祓」は6月晦日が指定日ですが、諸般の事情で、その日に近い日曜日に前倒しして行われていることがわかりました。

“置き石”遷座祭

置き石“遷座祭” 引き続いて行われた遷座祭です。警蹕の後、祝詞奏上がありました。
 やや薄ら寒いという今日ですが、全員が長袖という理由がこの時わかりました。写真を撮ってから頭(こうべ)を下げると、半袖の腕に集(たか)り始めた蚊が…。

御別当社の「置き石」 新聞記事には「置き石は高さ30cmほどで、一部が加工されているとみられ『石棒』状の形をしている」とあります。
 磐座ではないので只の「置き石」となるのでしょうが、それでも「祟りがあっては…」と丁重に扱っていることがわかります。
 本来は標石だけで済むものが(誰かの発案で)“ミシャグジ風”の石を据えたばかりに、このような経緯になったことがわかります。「これが諏訪人のスピリット」とも言えそうなので、どうこう口を挟むものではありませんが…。

御別当宮

 諏訪史談会編『諏訪史蹟要項 茅野町玉川篇』〔神之原・荒神〕に、「御別当社」がありました。

 往昔は小別当社とも称した。粟沢村に近い所に勧請されて附近には御別当平・守(ママ)清水・御別当汐等の小字もあるほどで、天保年間には下社の造営に献木したほどであるが、明治十五年、七社明神社の境内社となって以来全くその跡を止めない。
 御別当社の祭神は建志名神であるか否かは尚攻究しなければならないが、兎に角この名の社が南山裏(堺方)に多いのは何故であろうか。

御別当宮 ということで、諏訪史談会篇『復刻 諏訪藩主手元絵図』の〔神原村 荒神新田〕から、関係する部分を転載しました。名称の縦書きに合わせて回転させたので、結果として、上部が東(八ヶ岳)となり直感的にわかりやすくなりました。
 「守矢清水」が気になりますが、左が「粟沢村境」なので「昌林寺」の場所から旧鎮座地が特定できそうです。しかし、「その跡を止めない」とあるので、ここでキーの打ち止めとしました。

「小別当」

 『諏訪史蹟要項』に、折込が二枚重なっていることに気が付きました。さっそく下の一枚を広げると〔旧玉川村史蹟略図〕でした。「御別当社」が書き込んであるのでグーグルマップを開くと、諏訪中央病院の横に「ビュー中御前」の表示があります。一般には使われない名称ですから「中御前?」と調べてみると、アパートの名前で、A・B・Cの三棟がありました。
 前出の『諏訪史蹟要項』では「七社明神社」に、

 天保頃は七社明神社は中御前社(中御膳社)と称したことから考えれば、往時は上・中・下の三御前社の存在していたことがわかる。一説には中御前、即ち下の御前であるとする向もある。

とあるので、「七社明神社が中御前社」とすることもできます。そのことを知っていた大家が「中御前(七社明神社)が見える」と命名したのでしょうか。少し離れすぎとも思いますが…。


長野県立図書館蔵『神之原村絵図』(↑八ヶ岳方面)

 話がそれましたが、明治初期作成の諏訪郡一村限絵図を開くと、「字 コベットウ」がありました。
 当初は、そこにある方形の区割りを御別当宮の跡地と考えました。しかし、凡例では「林草野」ですから、守矢清水(または跡)に当てはめてみました。

 後日、茅野市教育委員会『茅野市字名地図』で確認すると、何ヶ所か分断されていますが、七社明神社から諏訪中央病院の前にかけた一帯が「中御前」とわかりました。前出のアパートは、単に、字「中御前」を使っただけとわかりました。