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田辺の古社「八竜社」 諏訪市湖南田辺 31.3.30

 『諏訪市史 上巻』の図録『諏訪市史跡・文化財地図(古代・中世編)』の一部です。現地踏査では、八竜社の(現在の)鎮座地は、この地図では「竜」の場所でした。

 これを見ると、この辺りの標高は760m強です。諏訪湖面が759mですから、その差は1mです。宮川などは天井川としても、平地よりさらに低い用水が諏訪湖まで流れていくのが不思議です。
 ここで思ったのが、公称「759m」は最大貯水時の標高。つまり、釜口水門のゲートの最上端が標高759mと…。

 『諏訪史蹟要項』〔田辺〕から抜粋しました。

3.八竜社
 四ツ家社より宮川堤を上ること数百米、竹君の地に石祠がある。祭神は諏訪神の御子神と云う。
諏訪史談会『諏訪史蹟要項十七 諏訪市湖南篇』

八竜社参拝 31.3.16

 四ツ家社から宮川の堤防上を上流に向かって歩くと、すぐに八竜社が見下ろせました。

八ヶ岳八竜社
八竜社

 富士山が見えそうな景観です。しかし、その辺りに目を凝らしても、白いものはありません。右の山並みが遮っているのでしょう。

八竜社 上写真とは逆になる、祠の正面です。背後が堤防ですから、四ツ家社と同じように何回も宮川の水に洗われたことが想像できます。


八竜島

 ここにも、湖南地区健康文化推進会議が設置した案内板がありました。

 八竜社は、一村限画図(享保一八年、一七三三年)に、その堂宇が画かれていて「八竜島通」と添え書きしてあるので、往時に宮川端の島に祀られた水神と思われる。
 八竜社付近の土手は弱く、決壊し易く、その水災は年々四ツ家の人々を苦しめた事だろう。その暴れ川を鎮める為に祀られた水神と思われる。
 しかしながら、その水災は時代が移っても変わらなかったのであろうか。昭和九年にこの付近の土手が決壊。流入した土砂は水田を埋め、その回復に数年を要し、堤防は強化されたが、往時の人々の苦難の程が忍ばれる。
八竜島
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』(部分)

 文中の「一村限画図」は、『諏訪藩主手元絵図』の別称です。しかし、その〔田部村〕を眺めると、(堂宇ではなく)柳のような大木が描かれ、「ハチ龍嶋通」と書いてあります。また、「通(とおり)」は小字(こあざ)に置き換えられる地区名ですから、添え書きではありません。
 ただし、『手元絵図』では神社の代わりに独立樹が描かれることがあるので、八竜社であることは間違いありません。
 それはともかく、八竜“島”ですから、かつてのこの辺りは八十島(やそじま)の如く島があったことがわかります。今は規則正しく区切られた田圃が広がっているだけですが。 

『祝詞段』に見る「八竜」

金子鎮守八リュウサンソン…文出鎮守・小川鎮守・阿原鎮守高島八劔辯才天・七リュウ・八リュウ南方五リュウサンソン、神々ニチヨノ御神楽マイラスル、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第三巻』

 「金子鎮守八リュウサンソン」は、旧中金子村の「八龍神社」として確定済みです。文末の「七リュウ・八リュウ…」は調子を整えるためのフレーズとも思えますが、その「八リュウ」に八竜社を比定することができそうです。