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旧粟沢村の御社宮司社 天白社) 茅野市粟沢

 『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』〔一、粟澤村〕に、「桜湛木」の記述があります。

昼湛之宮和田日向天伯宮ニ桜湛木有、凡四五かひも有之、寛政の始頃朽木成ル其後退転也
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第三巻』

 ここに出る「天伯宮にある桜湛木」については、すでに紹介しているので省きます。

粟沢村古絵図
諏訪史談会編『復刻諏訪藩主手元絵図』〔粟沢村(一部)〕

 今で言う大字(おおあざ)「和田」字「日向」の地を『諏訪藩主手元絵図』で覗くと、「天白宮」に並んで「御社宮神(みしゃぐじ)」がありました。
 左図は『絵図』の右頁(それも一部)とあってわかりにくくなっています。そのため、「両社が鎮座する小尾根は左頁(南)へ続き、その末端には粟沢観音がある」と説明を入れました。

改めて、御社宮神を参拝 '22.5.11

 2007年にその場所に立ちましたが、「桜湛木跡」が目的だったので、御社宮司社は背景の一つとしての存在でした。今日は『絵図』に載る御社宮司社として、15年ぶりに訪れてみました。

桜湛木跡地
天白社space御社宮司社

 〔粟沢村〕には鎮守社の氏神宮(矢作社・武田八幡社)・山神と天白宮・御社宮神の四社が書かれています。そのことから村を代表する神社であることに間違いありませんが、現在は石祠と御柱のみの景観になっています。

粟沢御社宮司社 右側の御社宮司社にそれを表すもがないかと覗き込みますが、一字も彫られていません。前面のみに朱が塗られているのが確認できただけでした。これで、標題『旧粟沢村の御社宮司社』を立てたものの、これ以上の紹介はできないことになりました。

天白社

同村和田新田之内櫻湛社大天泊元田中一統祝殿之由、田中淡路守居住之處

粟沢天白社 上記は、冒頭に挙げた『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』に載る別の記述です。こちらも無銘なので、「田中一統の祝殿」が唯一の消息となりました。
 続く「田中淡路守居住之處」ですが、『絵図』では似たような「諏訪越中守/御ヤし記/此所畑」を書いているので関連性を思いましたが、「田中と諏訪」は繋がりませんでした。

(仮称)和田日向の丘」遠望

桜湛木の丘

 帰りは、現地からは対岸と言える場所に見えた道を選びました。何回か振り返ると、目的とした和田の「日向(ひなた)」に鎮座する両社の立地を撮ることができました。