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田辺の古社「エビス社」 諏訪市湖南田辺 31.4.13

エビス社 諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』から、図録『諏訪市史跡・文化財地図(古代・中世編)』の一部です。
 ここに載る四社巡拝の最後を飾るエビス社ですが、現地踏査で、鎮座地が違っていたことが発覚しました。


 『諏訪史蹟要項』〔田辺(たんべ)〕から[3.エビス社]を転載しました。

 四ツ家の西南凡そ五百米を隔てたエビス島に石祠があるが、祭神は詳らかでない。
諏訪史談会『諏訪史蹟要項十七 諏訪市湖南篇』
えびす島
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』〔田部村〕

 『諏訪藩主手元絵図』に、「えびす嶋」がありました。点線で囲ってあるので、この時代では、島の名残のようなものがあったと思われます。左の「鎮守」は、前回取り上げた「武居ノ鎮守」です。

エビス社参拝 31.3.16

 現地にエビス社はなく、「今日は、これで撤退」と引き返しました。

エビス社 それでも、直交する道毎(ごと)に西山方面を見通していると、この光景が現れました。
 「エビス社!?」と、カメラを望遠鏡代わりにしてズームアップすると御柱のような杭が確認でき、「エビス様は我を見捨てなかった」と思わず小躍りしてしまいました。写真はその時に撮ったものなので、望遠効果で、電柱や西山の家々が不自然に(距離感が詰まって)写っています。

エビス社 その前に立てば、御柱に見えたのは、何とか「笑美酒社」と読めた田辺公民館が設置した古い標柱と案内板でした。
 これで「田辺の古社巡拝」が完結し、揚々とした足取りで帰途につきました。下写真は、振り返って

撮った、斜め後方からのエビス社です。 エビス社
春まだ浅き田中にあるエビス社(遠景は八ヶ岳)

エビス社は「武居会美酒」

 標柱の横にあった、湖南地区健康文化推進会議とある案内板『エビス社』から転載しました。

 藤島を開拓した田部の人か後年藤島に相似た地勢のエビス島に着目したのは自然の成り行きであったであろう。
 四ッ家の人々が開拓地の豊饒、繁栄を祈ってエビス社を祀り、島名となったのではないか。
 会美酒の宮はエビス社に擬して考えるべきではあるまいか、武居会美酒は明神垂述の昔この地にあった土地神と云われていた。

 ここに「このエビス社は、諏訪大社上社の三十九所の一社武居会美酒ではないか」と書いています。確かに「武居(庄)にあるエビス」として説得力はあります。しかし、

武居ノ鎮守・藤島明神・若宮サンソン・武居蛭子・守矢之大神・戸澤トノ…
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第三巻』から『祝詞段』

と、ここに挙がるラインナップの順番「前後が前宮周辺」と、諏訪大社の歴史の中では“この地は、つい最近まで低湿地であった”ことを考えると、難点がありそうです。

「湖南地区健康文化推進会議」って何?

湖南地区健康文化推進会議社 後日立ち寄った田辺公民館ですが、その一画に、「田辺田園コース 約4Km」とある絵地図が掲げてありました。田辺区が設定した健康増進のウォーキングコースのようです。
 見上げると、今回巡拝した四社が載っています。「これを知っていたら迷わずに行けたのに」はともかく、これで、各社にあった案内板の設置者「湖南地区健康文化推進会議」に、なぜ「健康」の文字があったのかが理解できました。

田辺の古社は「東南を向く」

エビス社と鎮守社
エビス社鎮守社

 今回巡拝して、四社が申し合わせたかのように東南を向いていることに気が付きました。それは田畑の区割り方向にも見えますが、地図を縮小するまでもなく糸魚川−静岡構造線に沿っているとも言えます。しかし、その声を大にするより、宮川が造り出した沖積平野の縦軸に合わせた、つまり宮川の上流に向けて鎮座させたと考えるほうが自然でしょう。