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旧今井村の「御社宮司社」 岡谷市今井

ミシャクジ様は何処(いずこ) 30.4.21

 ここに登場するミシャクジは、クラブの「ク」です。

 『諏訪藩主手元絵図』(以降『絵図』)の〔今井村〕にも「ミシャクジ」があります。今井十五社と浦野太郎社の鎮座地は知っていますから、「塚間川の東側を攻めれば」と考えました。

 「ついでに中央部にまとまってある“今井六社”も巡拝しよう」と欲張りましたが、いざ現地を歩いてみると、屋敷神ですら見つけられない土地ということがわかりました。


諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』(部分)
岡谷市今井
五万分一地形図『諏訪』(一部)

 闇雲に歩いても無理と判断し、まず「明治四十三年測圖昭和六年要部修正測圖」とある内務省の古地図をダウンロードしました。
 次に、今井十五社・浦野太郎社の鎮座地と塚間川の流れを見比べながら、『絵図』の道を重ねてみました。ところが、浦野太郎社近辺の道だけが、90度近く曲がってしまいます。「絵図だから」と容認することもできますが…。
 日を改めて眺めると、『絵図』の浦野太郎を地図の間下十五社に置き換えれば、両図の道が一致することに気が付きました。これは『絵図』の間違いというより、「浦野太郎社は、明治期に現在地へ遷座した」とするのが妥当でしょう。

 これで、塚間川の東側で「蚕糸校(現岡谷工業高校)」を中心にしたエリアに六社あることになりました。しかし、再踏査も帝ピス(帝国ピストンリング・現TPR)の広大な敷地に阻まれ、現在はすべて消滅(移転)したと結論づけるしかありませんでした。しかし、ミシャクジ様だけは消息を知りたいと、図書館にすがることにしました。

ピックアップ『今井区誌』

 今井区誌編纂委員会『今井区誌』から、関係する部分を拾い出しました。文中の“今井六社”は、私が命名した神社群です。

〔諸神と諸仏〕

 庚申・水神・廿三夜は除き、同名の神社は合計したものを文末にまとめました。

小社神号記
 十五社大明神(今井十五社)、鳴沢大権現、秋葉大権現、白山大権現、疱瘡神、伊雑皇太神、天王宮社(シメノ牛主)、天満宮、魔王神、若宮社、八幡宮神明宮社漆ノ御前社、稲荷二社、御射宮司、天狗社、大峯社、神明宮社、鎮明神、山犬前(山大前?)、弁才天、天句天白社、天王宮、魔王神、疱瘡神、御嶽権現、天魄(白)浦野太郎社御射軍神社、兼平社、天白稲綱、子安之社、稲荷社(3)、山之神(5)、金毘羅社(5)

 『絵図』にある神社が、すべて載っています。また、ミシャクジ(御射宮司)の他に御射軍神社があり、天白も二社あります。合祀社と思われる「天白稲」は誤字・誤植と思いましたが、他にも見られるので稲荷神と飯縄(綱)神を合祀した神社と考えました。

〔今井の地名〕

1 今井の地名
 当今井について、小口珍彦 平野村誌編纂主任は、次のように記している。
 「今井は往昔塚間川の東、小字兵部畑(今井兵部の屋敷址)付近、現在屋敷神が二、三点在しているあたりにあったが、中山道の開通と共に今井の場所へ移住した。古くは四ツ屋村とも言っている。四ツ屋は初め四軒家があったのに基づくとも言われるが、ともかくそういう地名の所へ移住したものであろう。しかして、今井という村名は他所では今居で新しい居住地を示す語といわれるが、ここでは、今井氏の姓によって起こったものと思われる」

 “今井六社”を説明したものではありませんが、巻の祝神とも思われる「屋敷神が、二、三ある」ことが注目されます。『区誌』は平成12年の発刊なので、現在も健在であるとしました。

2 字名から見た今井
 社地関係では、享保年中に作られた「一村限村地図(諏訪藩主手元絵図)」の今井村を見ると、鎮守十五社をはじめ祝神が集中的に南方に記されている。集落は移動しても、多くの祝神がそのままの場所にあったことは、人々の神仏に対する保守的な気持が、中世の村の面影を残してくれた。
 その中で八幡宮が北に、若宮八幡宮が東に位置しているが、これを見ると鎌倉の鶴岡八幡宮と若宮の関連を思い起こさせる。又十五社の塚間川東の八幡宮の社地を小字名で大菩薩(ぼさつ)と言うが、中世には八幡大菩薩と呼ばれていた古さを感じさせる。
 此処から少し南の所から古銭が三千枚近く掘り出された。これは昭和四十七年中部電力の変電所北側の増設工事中の事で、大部分宋代の中国銭であった。この三貫文近くの古銭は、場所から八幡大菩薩のための埋納金か備蓄銭とも考えられるが、いずれにしても、ある程度の経済力を持った当時の村落の証として貴重な発見の一つである。

 ここに“今井六社”の記述がありますが、個々の鎮座地は挙げていません。
 冒頭の『絵図』では右下にある「神明宮」が「(岡谷市)神明町」の由来として載っているので、以下に挙げてみました。

3 町別区画表示
 新町名の由来について、神明とは、江戸時代享保の今井村絵地図(諏訪藩主手元絵図)に、神明宮と大きな木が描かれている。これは現在の帝国ピストンリング工場の南に当り、塚間川の東一帯を小字名で神明木と呼ばれていた。又岡谷工業高校の西口辺に神明社と云う小社もあった。

 不本意ですが、「ミシャクジ」を含む“今井六社”は、岡谷工業高校と帝ピス(TPR)の敷地の下にあ(な)ったと認めるしかありません。

八幡宮 30.4.25

八幡宮 今井十五社の“真ん前”という場所に、石祠が二棟並んだ神社があります。何の表示もないので保留としてきましたが、住宅地図で確認すると「八幡宮」でした。

 御社宮司社を紹介できなかったので、“今井六社”の一社「八幡宮」として追記しました。