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旧西山田村の御社宮司社「御社くぢ」 岡谷市長地出早

西山田村横川のミシャグジ社

 『諏訪藩主手元絵図』の〔西山田村〕開くと、西の端に「出早明神(出早雄小萩神社)」があります。

西山田村古図
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』

 その横(東)を南に下る道沿いに、文字だけの「御社くぢ」があります。当初は「川に関連したミシャグジ」と考えてみたのですが、その川は、古今の地図では確認できません。絵図では大川ですが、汐(せぎ・諏訪で言う用水路の名称)の規模と考えました。

御射宮司神社(上ノ御社宮司社) 30.3.26

 実は、縁あってその前を何回か通っていましたから、横目ながら、社号標で「御射宮司神社」であることは承知していました。
 今日は、カタクリにはまだ早い出早雄小萩神社に車を置き、今は舗装の下となった古来からの道を踏みしめるようにして、御射宮司神社へ向かいました。

出早御射宮司神社

出早御射宮司神社本殿 御射宮司神社の本殿ですが、祠より基台の石に目が行ってしまいます。何か謂われのあるような形状ですから、元々は、これが御神体だったとも思ってしまいます。
 玉垣外ですが、境内の左方に、御射宮司神社に背を向けた形の小祠があります。御柱があるので今でも祭祀者がいることがわかりますが、社名を知ることはできません。

『御射宮司神社由緒略記』

 社頭にある案内板から、前半部分を転載しました。

 顧(かえり)みますと、大昔というに相応しい時代から、信濃国の一之宮として諏訪大社を崇敬し、信州人としての誇りとしていましたが、さらに、長地(おさち)村大字柿木畑五千六百弐拾七番地ロ号に鎮座される「御射宮司神社」の信仰も、併せて、代々にわたって崇敬の誠を尽くし、特に春秋の祭礼には、老若男女を挙げて熱烈に奉仕してきました。
 しかしながら、長い間にわたって御祭神名が不明でありましたが、この程、神社明細帳に関連して、御祭神に「大名牟遅命(大己貴命)・少彦名命」の二柱とあり、由緒に次のように記録されております。
 「創立年代ヲ詳ラカニセズト雖(いえど)モ古来ヨリ神官武居家ノ文書ニハ神代ノ鎮座トアリ、延元二丁丑年(1337)ニ、山田甚五郎・樋口源右衛・井上吉右衛門・神主小萩祝武居佐馬之介豊後等ノ再建ニ係ワリ、本殿ハ文政十三年九月十一日再建シ、蔓延(万延)元年(1860)九月二日ニ屋根葺替ヲナシ(以下略)」
(中略)
 平成十四年十二月一日

「祭神名が不明…」 案内板の設置に当たり、改めて由緒では必須の“御祭神”を問うてみれば、「はて、ミシャクヂって何の神様」と首を傾げてしまった様子が目に浮かびます。古来より地域内神名「ミシャクヂ様」で通して(済ませて)きて何の問題もなかったのですから、「御社宮司神」と大きく書いていいと思うのですが…。

「神社明細帳に関連して…」 「創立年代ヲ…」は、『小社神号記』に載る由緒であることに気が付きました。「神社明細帳に関連して」とあるので、『神社明細帳』ではなく、武居祝の文書を採用したことがわかります。

巻と御社宮司社

 『諏訪藩主手元絵図』に近い地図として、「明治四十三年測圖昭和六年要部修正測圖」とある内務省の地図(一部)を転載しました。

地形図「横川」
五万分一地形図『諏訪』(−御射宮司神社)

 中央の横河川に支流があるので、『諏訪藩主手元絵図』と同じではないかと思いました。ところが、…よく見ると等高線でした。
 早とちりはともかく、これを見て、御射宮司神社が「横川」の集落にあることに気が付きました。案内板の「長地村大字柿木畑」は小字の間違いでした。

■ 横川区は、もとの山田の郷。後に西山田村となり、元禄時代一時独立して横川村という時があったが、再び西山田村として明治維新を迎え、(中略)西山田(中屋・中村・横川)・東山田・東堀の三か村が合併して長地村となった。──『横川区誌』から抜粋

 図書館に『横川区誌』があるのを知っていたので、これで、以下に繋がる情報が得られました。

 横川区誌編纂委員会『横川区誌』〔村の生活〕から、[信仰行事]の一部です。

巻のお祭り
 横川には御社宮司社が多く、それぞれの巻で奉斎をしており、その外にも祝神があって信仰されている。例祭日は秋の収穫から十二月初めまでで、宿は回り番に受けもち神官を招いて神事をし相談ごとがあればこれを済ませて直会を行う。
 昔は甘酒が欠かせないものであったが、近年少なくなった。上ノ御社宮司社は戸数が多い上に宿にはめいめいの家を回ったので、一代に一回か二回番が当たるわけで、気張って準備をしたものである。(中略)

 続いて巻の12社を紹介していますが、「神社 上ノ御社宮司社/巻 山田・鮎沢・小口/戸数 三六/例祭日 十一月末」を始めとして半数が御社宮司社です。湖北(諏訪大社下社側)では御社宮司社は稀少としてきましたが、山麓部においては、この(私の)常識は完全に覆りました。また、添付写真から、今回取り上げた御射宮司神社が「上ノ御社宮司社」とわかりました。

 区誌は昭和51年の発刊です。現在は巻も様変わりしていると思いますが、ミシャグジの名は永遠に語り継いでもらいたいと願うばかりです(巻のある人、うらやましい。ミシャグジの巻がある人、もっとうらやましい)。

 『横川区誌』は、区誌としては珍しく、6ページに渡って〔御左口神信仰〕を書いています。今井野菊さんの名が何回か出るので執筆者を確認したら、私は存じ上げていない「山田誠治」の名があります。巻末を調べると明治42年生まれでした。