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金山稲荷社と金山の清水 諏訪市岡村 29.12.10

御花畑

 前書きに「宝暦六年(1756)のとし中秋三五(15日)の夕」とある、小岩高右衛門著『諏方かのこ(かのこ)』から転載しました。

一、御花圃(おはなばたけ)
 岡村坂下の辺より、北なる山の麓にて、一段たかく二丁程の間平(たいら)かにして南に向かい、暖気なる所也。古は色々の花草を植えおかせられし御花園(おはなその)也。今は人家あれども名は猶(なお)残れり。清水ながれて蛍胡蝶など多し。
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第四巻』

 この一文を読んで以来、岡村がどこにあるとも知れないまま「御花畑」に注目してきました。最近「大日大聖不動明王」との縁で岡村を知ることができ、御花畑小路も歩きました。そこで「岡村シリーズ」として紹介することにしましたが、現状は「名のみ」とあって、来年の蛍見物や花園に乱舞する蝶を期待することはできません。
 浅川清栄責任編集『高島城と諏訪の城』の〔御花畑と三之丸家山屋敷〕では、「このあたりは南向きの山懐で非常に暖かく、花も早く咲くという」とあり、〔手長丘・岡村への小路〕では

金山小路 御花畑小路の上で、岡村北沢の道から「金山小路」が分かれる。小路を入って左手に金山社があり、さらに奥の左手に金山の井戸(清水)が湧出していた。昔の鎌倉道だといわれている。

と解説しています。同書を参考にして、御花畑()を『高島城下町絵図』に重ねてみました。

金山の清水 御花畑跡は「御花畑小路の北西側斜面」というより、高島小学校のグラウンド下と書いた方がわかるかもしれません。
 この絵図には、御花畑エリアの上端に池があり、その流れが岡村北沢の道を横切っているのがわかります。
 再び『高島城と諏訪の城』〔城下町の用水〕では、

湧水 秋葉神社の秋葉清水は藩主の御膳水となった。地蔵寺の湧水は霊泉と称され、金山の井戸も著名であり、八劔神社の湧水は酒造用として用いられ、片羽の湧水は城中の婦人の化粧水にも用いられた。
とあるので、絵図に「金山の清水」として並記してみました。

諏訪市岡村 諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』〔下桑原村〕では、両図の用水[]と「池?」の位置関係から、[]は(金山社ではなく)金山稲荷社と確定しました。そこで、『高島城下町絵図』には「金山稲荷(○)」を追記しました。
 この絵図では、御花畑小路は袋小路で、金山稲荷社前の道が手長神社へ向かう道であることがよくわかります。

 地図では、諏訪清陵高校の裏山辺りから御花畑跡が遠望できそうです。「早春期に写真を撮る」と、笑われようとも早々に来年の誓いを立てて、話は金山社に移ります。

金山稲荷 29.11.28

 金山稲荷は、不動堂の探索では途中で引き返した地点の直ぐ上にありました。

金山稲荷 石祠には銘がありません。金山社との関係もわからないので、写真で紹介するのみとなりました。
 上に見えるフェンスが高島小学校のグラウンドというこの道は「鎌倉道」と言われていますから、そのまま手長神社まで歩きたい気持ちがあります。しかし、この上は高島小学校と上諏訪中学校の敷地ですから断念しました。地図上では、両校を無視して手長神社前の道と結べば、うまく繋がります。

金山の清水

 金山稲荷社からの帰り道で、『不動堂の鳥居』で書いた男性から「泉は無いが、井戸はある」と聞きました。「金山の清水または泉」で尋ねたのでそのような答になったのですが、「近くだから」と案内してくれました。

金山の清水 実は、写真の道を上(のぼ)って金山稲荷社へ向かったので、ブロック塀の中に「金山の清水」があるとはまったく気がつきませんでした。
 ブロック塀が名の如くブロックし・入口の正面が温泉貯湯タンクですから無理もありません。それでも、改めて眺めると、塀の上に御柱の先端が覗いていました。

金山の清水 狭いので、塀に背中を付けても全体を撮ることができません。右隅の水神碑と井戸跡を囲んで御柱がある、と説明を入れました。
 方形の井戸跡を覆った三角屋根を注視すると、石の板二枚でした。木片が打ち込んである部分は円形ですから、かつてはモーターで揚水していた時代があったと考えました。

 金山の清水については、ここに書いた以上のことはわかりません。何か見つかったら追記します。