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旧小井川村の「御社宮司社」 岡谷市大栄町

 『小井川区誌』に、祝殿社の鎮座地を重ねた〔諸社分布図〕があります。(もう7年も経ってしまいましたが)浦野太郎社を調べる中でそれを参照したのですが、そこに「御社宮司社」があったのを思い出しました。うろ覚えの場所をストリートビューで走ってみると、…お稲荷さんカラーをまとって縦列鎮座したかのような神社が現れました。

小井川の御社宮司社と若宮八幡社
 (現地で撮影)

 地図の表記は「若宮八幡社」ですから、どちらかが御社宮司社となります。

岡谷市小井川村
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』

 『諏訪藩主手元絵図』の〔小井川村 若宮新田〕にある「伊奈道」が、県道14号です。古今の地図を見比べながら割り出した部分を眺めると「八幡宮」があります。また、「若宮新田」は八幡宮の周辺にある狭い区域ですから、この神社が若宮八幡社となりました。

御社宮司社と若宮八幡社 30.3.27

(これが…)小井川の御社宮司社

小井川御社宮司社

 境内右にある案内柱が、「ここは稲荷社ではありません。御社宮司社です」と訴えるように立っていました。以下は、裏にある説明です。

祭神 御社宮司神・土地の精霊、地主神
建御名方神の御子神のうち、国土開発に功のあった十三神を御社宮司神と称したと伝えられる。

 私は「御社宮司神(土地の精霊・地主神)を、(後世になって)国土開発に功のあった十三神と称した」とする逆の考えですから、この説明には違和感があります。しかし、「伝えられる」としているので許容範囲としました。

小井川御社宮司社本殿 石祠に銘はありませんが、かなり古そうな形式に見えます。その中にある幣帛の紙垂にやや退色が見られますが、現在も祭祀が行われているのがわかります。
 「それにしても…」と感じてしまうこの稲荷色は、旧小井川の村社である賀茂神社の玉垣を始め、巻の神社にも多く見られます。「小井川カラー」とでも言うのでしょうか。

小井川(小井河)湛の地

 小井川区誌編纂委員会『小井川区誌』〔宗教と信仰〕から、〔御社宮司社(みしゃぐじしゃ)〕の一部を転載しました。

 小井川賀茂神社の境内社で、祭神は櫛磐(くしいわまどのかみ)、豊磐神である。(中略)廻湛神事の大県神使は「小井河泊」で行われたという記録※2がある。
 社殿は古い石宮で造られており、例祭は毎年八月二十七日で小井川賀茂神社祭主が行っている。御柱祭も諏訪神社に倣い行っている。
※2『新年内神事次第旧記釈義』から抜粋

 「境内社」は「境外社」の間違いでしょう。また、どこから難読の神様をお連れ申したのかという素朴な疑問もありますが、取りあえず、ここで引用している釈義を原本から転載しました。

下宮神事 下社領域内で行なわれた湛神事・大(小)県神使の廻湛は諏訪湖を一周する順路で、昼湛の大和村鵲宮(先宮)から土武郷(とむごう)とよばれた下社圏内に入る。馬場上・伴(伴野)町・小井河らがそうで、馬場上は伴野町に属し宿湛をした。
 伴町は伴野であろうが、伴野町宿湛のあと小井河で泊るまでに下ノ原・山田・西山田・今井・東堀・西堀と廻り、十数ヶ所で昼湛を行なっているので、特定の場でなく、町全体を指すものだろう。(後略)
武井正弘著『年内神事次第旧記』

 神使が、前宮から各地の湛地を廻りながら小井川まで来たことになります。ここで、『年内神事次第旧記』の本文も挙げてみました。

一、酉日(とりのひ)ハ大御立座(おおみたちまし)(中略)

一、下宮神事、鵲宮湛・馬場上湛・伴町湛・小井河も、何も御神事、夜湛・昼湛も違う所ハあるましく候、

 以上は中世の話です。しかし、その後に勃発した戦乱で、多額の祭費を必要とする廻湛は廃れました。その代わりとして、ミシャグジが常駐する祠を湛の地に設置したのが現在ある御社宮司社ということでしょう。

若宮八幡社

小井川若宮八幡社

 御社宮司社が前面に立つのを押さえているような若宮八幡社殿ですが、ここでは従となるので、『小井川区誌』から由緒のみを転載しました。

 若宮の産土神として、若宮新田を開発したころに勧請したものである。祭神は誉田別尊(応神天皇)・鎮大神(しずめのおおかみ)の二神である。
 神紋は十六重弁菊花を使用していたが、明治二十年にこの紋章は皇室の御紋章であるとの理由で、使用してはならないことになった。
 境内地は明治二十三年四月一日、官有地を社地として下賜されたものである。社殿は慶安年間(1648〜1652)に社殿石宮を造営した。文化二年(1805)には板宮を造営し、文政十年九月から湯立の神事を行っていたという。現在の社殿と鎮大神の社は文久二年(1682)に再建されている。
 明治三十五年十月と同四十年に、長野県の訓令により弱小神社及び無格社を合併し、または移転するなどの神社統合が行われ、若宮八幡社は明治四十二年五月十九日、小井川賀茂社(現・小井川賀茂神社)に合祀され、同年七月六日に境内地も小井川賀茂神社に、所有権を移転されている。