諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪の神社メニュー /

旧大和村の御社宮司社 諏訪市大和

 このところ、「ミシャグジハンターに改称しようか」と思うほど、諏訪のミシャグジ社を巡拝しています。しかし、その力は衰えたといえ祟り神ですから、「ハントするとは言語道断。さっそく神罰を」と申し渡されかねません。そこは、拝礼をきちんと行い、HPで紹介させて頂きますと(勝手に)許可を頂いているので大丈夫とは思いますが…。
 しばらくはシリーズ物になるので、タイトルを〔ミシャグジを尋ねて−◯◯村−〕に替えようかと考えました。しかし、今井野菊さんの著書『御社宮司をたずねて』に通ずるので遠慮しました。今回は諏訪市大和(おわ)の御社宮司社で、従前の〔◯◯村の御社宮司社〕としました。

大和(おわ)村のミシャグジ社

大和村の御社宮司社
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』

 『諏訪藩主手元絵図』にある〔大和村〕を開くと、「み志や(ヤ)くじ」と書いています。
 このように、諏訪の地でも、今で言う「ミシャグジ」には、決まった字と読み(呼び方)がなかったことになります。

 この絵地図では、高木村と大和村の境は川で、その畔に御社宮司社があります。「これは特定しやすい」とグーグルマップを広げると、…「御社宮司神社遺跡」が表示しました。調べると、御社宮司社はすでに消滅しており、その跡に東屋があるだけのようです。
 「跡」ではない「遺跡」の名称には違和感がありますが、グーグルマップのデータは『ゼンリン』(の調査員)なので、鵜呑みはしないことにしました。後の調べになりますが、諏訪市教育委員会『諏訪市の遺跡』には、「御社宮司神社遺跡:御社宮司社跡に隣接した小遺跡」とありました。グーグルマップは、あくまで「遺跡」として表示したのでしょうか。

“跡”であっても御社宮司社!! 30.3.3

諏訪市大和の御社宮司社跡
下諏訪町←甲州街道→諏訪市

 甲州街道から、この時にはわからなかった御社宮司社跡を見上げました。因みに、右側の側溝が、これも後で知った『諏訪藩主手元絵図』にある「境川」です。路側帯の白線が諏訪市側で終わっているのを見て、下諏訪町と諏訪市の境を改めて実感しました。
 石垣の形状からわかるように、かなりの坂道です。高めの気温に厚着ですから、発汗を押さえるためと称し何回も立ち止まり(息継ぎをし)ました。人家を下にしてから少し登ると、思いがけない御頭郷境締め(おとうごうさかいじめ)が現れました。

(ここで)「境締め」

境締め 沢の左が(下諏訪町)高木ですから、今年の御頭郷が下諏訪町であることを思い出しました。右側の諏訪市から厄災が入るのを防ぐのが境締めですが、甲州街道ではなく、左に標柱がある鎌倉街道沿いに設置してあることに、しばし思いを寄せました。数ある御社宮司社ですが、最古の一社であるのは間違いありません。

諏訪市大和の御社宮司社
御社宮司社跡space境締め

 少し登り、前記とは逆になる、手前に東屋=御社宮司社跡と境締めを入れた諏訪湖を撮ってみました。
 左方から広い道が東屋の下に繋がっており、案内板が二基並立しています。設置者名はありませんが、地元の大和区と思われる『御社宮司社跡』から、一部を転載しました。

案内板「御社宮司社跡」

 「諏訪市内に3社」は、明らかな誤記です(後述)。私設の案内板なので強くは言えませんが…。また、文末の「御社宮司社…」を読んで、消滅したと思っていた御社宮司社は、先宮神社へ移されたことを知りました。

 東屋の上部に石垣が見えます。登ってみるとさらに何段かあり、かつては人家が何軒もあったと考えました。しかし、甲州街道へ戻る道中で、この場所は、見晴らしはよくても人は住みにくいことに思い至りました。

棚田

 昭和23年の航空写真で確認すると、沢に沿って一列の棚田がかなり奥まで延びています。これで、現地で見た石垣は棚田のものとわかりました。

御社宮司社跡
国土交通省『国土画像情報』

 ここでは、解像度が高い昭和51年の写真を載せ、境川が上下になるように回転させました。
 小さな扇状地の上端に御社宮司社があり、その下を甲州街道以前の鎌倉街道が通っていたことがわかります。今はその当時の景観に戻りつつありますが、かつては、戦時中の食糧増産で沢筋の奥まで開墾したことが窺えます。

「諏訪市内に3社」は「大和には3社」

 小口濤夫著『先宮神社誌』の〔境内無各社〕から、[御社宮司社]を転載しました。案内板は、これを書き写す際に間違ったのでしょう。

 「ミシャグジ」と称されている社は十六都道府県で二、一四三社あり、県下には七八〇社、諏訪郡内一〇九社、市内は三六社で、大和には文献上次の三社となっている。

 続いて三社の詳細を挙げています。「これは(嬉しくも)“面倒”になってきたぞ」と思いましたが、「現在確認されるものは表中三番目のものであって」とあります。それが今回取り上げた御社宮司社ですから、取りあえずホッとしました。

先宮神社の御社宮司社

先宮神社の御社宮司社 6年前に撮った、先宮神社にある御社宮司社です。
 前記の[御社宮司社]に、「祭日例祭は十二月一日で明治の終わり頃までは湯立祭が行われていたが、以後神職による修祓だけになり、現在は祭事は行われていない。大和の場合は十月十六日が例祭であったらしいが、明治十六年三月七日(費用十五銭一厘五毛) 同二十二年二月(費用六十五銭)の記録が残っている」とありました。