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御社宮司社と岩鼻 茅野市米沢 塩沢 1.5.4

小岩鼻(小岩花)

小岩鼻(小岩花) 何年か前になりますが、スワニミズムの旧塩沢村FWに参加した折りに、『諏訪藩主手元絵図』にある「小岩花」を見ていました。直近で観察すると、その表面には現代の工法であるドリル痕が幾つも残っていました。
 手前が川に挟まれた県道424号道ですから、この岩盤を削って道を拡幅したことがわかります。現在は「小岩鼻」ですから、「端(はな)」が元意でしょうか。

小岩鼻(小岩花)
金毘羅神社と、上部にある多数の祠

 上写真では右側に当たるのがこの景観です。江戸時代から特別(異)な場所と見ていたことがわかります。
 その後、『諏訪藩主手元絵図』を眺める中で、「大岩花」との間に御社宮司社があることに気が付きました。さっそく現地に駆けつけましたが、…見つけられずに終わりました。

塩沢 御社宮司社
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』〔塩沢村(部分)〕

 今年になって塩沢の字界図を開くと、県道と上川に挟まれた区画に「御社宮司」と書いてありました。

塩沢 御社宮司社
茅野市教育委員会『茅野市字名地図』(二ページを合成)

 その形状から隣接する鬼久保などの農地に浸食されたことが想像できますが、それは別として、この中心地に御社宮司社がある可能性を思いました。

旧塩沢村の御社宮司社 31.4.29

 小岩鼻から、県道に沿って右側を注視しながら歩きます。資材倉庫が終わる辺りに、周囲から少し浮き出たような緑の塊があります。決して高くはありませんが、その間に視線を注ぐと御柱らしきものがあります。

塩沢 御社宮司社

塩沢 御社宮司社 近づくと石祠があり、「おー、これが塩沢の御社宮司だ」と確信しました。左は太陽光発電の施設ですが、右方奥の事業所では人が盛んに動いています。怪しまれないように、駐車場を避けてその前に立ちました。
 祠の中は空っぽですから、祭祀が絶えて久しいことがわかります。拝礼の後で御社宮司社を証明する手掛かりを祠に求めましたが、…無銘でした。その周囲を見回しても、ミシャグジを表すようなものはありません。

塩沢 御社宮司社 手前に見える石組みから、奥に向かって広がる台形状の境内になっていることがわかります。一旦退いて県道際に立つと、三角形になったその区画が御社宮司社の社地となりました。
 その写真を撮り、祠が上川の上流に向いていることを確認してから、10連休とは無縁の字「御社宮司」から引き揚げました。

塩沢 御社宮司社

 自宅で確認すると、が鎮座地です。川や道路を基準にすると『諏訪藩主手元絵図』とは大きく異なります。現地では「確信」と言い切りましたが、何かぐらついてきました。

塩沢御社宮司社再拝 1.5.3

 四日後、「御社宮神の招きにあいて取もの手につかず」となった恰好で塩沢行きとなりました。
 字界図では「鬼久保」とある田圃で、二人が農作業をしています。天候が回復したので、待ちかねてということでしょう。遠慮がちに近づき、「作業中申し訳ありませんが、塩沢の御社宮司社を探しています」と声を掛けると、即座に、私が御社宮司社と睨んでいた場所を指差しました。この出会いを無駄にしたくないと幾つか質問すると、「社地は(塩沢)区有地。年一回草刈りをし、六年毎に御柱を建てている。今事業所がある地は畑だった。(神社)役員を担当しなければ、地元でも御社宮司社と知る人はいないだろう」と引き出せました。

大岩鼻(大岩花)

大岩鼻(大岩花) 御社宮司社の鎮座地から見て、不明だった大岩鼻はこの先にあるるのではないかと考えました。
 さらに上川に沿う県道を歩くと、左方から尾根がせり出しています。その道路側の広範囲がコンクリートで覆われているのを見て、「これが大岩鼻」と直感しました。

大岩鼻の石造物 上部に石碑らしきものが見えるので、カメラをズーム最大にして眺めると、不動明王像などが確認できます。小岩鼻にも同様な石造物があることから、自己判断ですが「大岩鼻」と断定しました。

大岩鼻(大岩花) さらに進み、直近まで行けそうな汐(せぎ・諏訪で言う用水路)によじ登り、それに沿って戻ると、この景観が現れました。
 はるか下が県道ですから、高さがあるために岩盤をすべてコンクリートで塗り固めたのでしょう。そのため、小岩鼻を大きくしたものをイメージして歩いても、見つからなかったのは当然のことでした。