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新井鎮守「達屋社」 茅野市宮川新井

 茅野市の(大字)宮川にある新井ですが、市に税金を納めていない私は、未だに「あの辺り」と示すことしかできません。その旧新井村に「達屋神社」があることを知ったのは、最近になってのことでした。横内の達屋酢蔵神社の蔭に隠れて、その存在を完全に見落としていました。

 ストリートビューで走ってみると、社殿が諏訪大社上社の宝殿に酷似しています。それを確かめるために達屋神社を参拝することにしました。

達屋社参拝 31.2.28

■ 長野県神社庁の表記は「達屋社」でした。 
新井鎮守「達屋社」
達屋社薬師堂

 達屋神社拝殿の前にあるので神楽殿としたのは、薬師堂でした。この角度から見える扁額に「瑠璃殿」と読めました…。

達屋社

 上社の宝殿として来ましたから、少し様子が異なる造りを見て「これは早合点だった」と思いました。それでも案内板を読み、前部の格子と階段(きざはし)の存在に気が付けば、同じ宝殿でも下社のものと納得できます。

 新井区が設置した案内板『達屋社由緒』を転載しました。

 達屋社(たつやしゃ)は、新井の産土神を祀る神社である。
中世この地は、栗林郷といわれ、その南方に位置していた。江戸時代の寛政九年(一七九七)同じ栗林郷横内の達屋神社の祭神彦狭知神(ひこさちりのかみ)を勧請し、併せて手置帆負神(たおきほおひのかみ)の二神を祀った。二柱の神は日本創建の古い時代の神で、宮殿などの造営をつかさどる工匠の守護神である。
 本殿は、石積みの上に建てられた一間社流れ造りで(屋根に千木や堅魚木をおく)神明造形式の社殿である。小社であるが、この本殿は諏訪の名工とうたわれた、白鳥弥四郎が天保十一年(一八四〇)に建造したものである。
 現在はこの建物の上に覆屋をかけて保護している。本殿に続く前方の拝殿は諏訪大社下社の宝殿を移築したもので、屋根には千木、堅魚木がおいてある。

達屋社 白鳥弥四郎作という本殿に注目しましたが、覆屋がガラス戸とあって映り込みがあり、その造作の詳細は見えません。
 誤解を招きそうなので、この御柱は「右奥にある丹波稲荷神社のもの」と説明を入れました。

達屋社 拝殿の賽銭投入口から内部を拝観すると、渡殿というか幣殿というか、本殿前の扉に梶紋の透かし彫りがあります。
 「諏訪社でないのに、なぜ」という疑問も、『由緒』にあるように、この拝殿が諏訪大社下社の宝殿を拝領(移築)したものとわかれば受け入れることができます。

 上写真を拡大すると、諏訪梶でした。下社に義理立てすれば明神梶が相応しいのですが、ここ新井は上社のお膝元とあっては、いたしかたないということでしょう。

昭和51年の新井地区

茅野市新井
国土交通省『国土画像情報』

 達屋社を参拝し、その南側は今も旧村の景観が残っているのを知りました。水路が縦横にあるので、「夏は蛍が…」とも思ってしまいます。
 そこで、中央道が工事中という昭和51年10月の航空写真を見ると、達屋社が、正に集落の北に位置した鎮守社というのがよくわかりました。