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おてんごーさんと天白社 岡谷市長地中村 30.5.20

 長地の御社宮司社を巡拝する際に、住宅地図を参照しました。「その道中に何かないか」ということですが、出早(いずはや)から目がしょぼくれるほど視線を移す中で「天白社」を見つけました。私には理解不能となっている“三大古層神社”「御社宮司・千鹿頭・天白」ですから、迷わず参拝の一社に加えました。

「おてんごーさん」 30.4.25

 中村薬師堂から山手の道を選ぶと、ストリートビューで見た高木が現れました。

おてんごうーさん しかし、その樹下に向かう道脇に大きく削られた斜面を見てしまえば、もう素通りはできません。
 時々夢に出る重なり合った縄文土器は無理としても、「破片でもあれば」と端から注視しますが、何の遺物もありませんでした。
 鳥居をくぐると、いかにも「巻の神社」という祠がありました。

生駒神社? 身舎の背面に「平成十六年五月建立」とあるだけですが、「中村の天白社まで来た」と一人充足感に浸りました。
 ここまでに、境内と畑との境に張られた獣除けネットの向こうに、男性が畝にマルチを覆っているのを見ていました。しかし、連続する作業とあって、とても声を掛けられる状況にありません。
 写真を撮ってから鳥居を後にした完全な帰りモードでしたが、振り返れば、立ち止まって一息入れています。「善は急げ」が当てはまるかは別として、急いで戻りました。

 私の声掛けでこちらを向いた顔は、(あくまで主観ですが)私と同年配でした。そのよしみからか気安く応じてくれ、ネット越しですが「ここは、東山田と西山田の間だから“中村”。この辺りは、山田・原・早出(そうで)姓がほとんど。鳥居は、今では見られない砥川石製」などの話を伺うことができました。
 ところが、何気なく確認した「この神社は天白社」に同意はなく、「おてんごーさま(さん)と呼んでいるが、本当は“生駒神社”」と言います。「おてんごー」は「お天狗」と一人頷きながら、嘘の情報をネットに公開しなくて済んだと安堵しました。

おてんごうーさん

 「諏訪湖を始め、富士山・甲斐駒・御岳山・中央アルプスが一望だったが、今は家が建ち並んで…」という「おてんごうーさん」を背後から撮ってみました。

 事後の調べでは、生駒神社と「おてんごうーさん」の関係は不明となりました。『諏訪藩主手元絵図』には「山神」があるのですが、…メモ帳には「生駒」と書いてあります。今回もボイスレコーダーを持参したのですが、ザックの中では何の役にもたたないことになりました。

山田巻「天白社」 30.4.25

■ 巻の名を採って「山田巻天白社」と表記しました。

 「重機が見える…・アパートの前を…」と耳に残る道を忠実に進めば、道一本だけ違う隣の神社でした。

山田巻「天白社」 物置が前になっていますが、額束には確かに「天白社」とあります。ここで、疑問に思っていた住宅地図における神社表示の基準は、鳥居や社号標に名称があるものは「神社名と鳥居」、それ以外は鳥居の凡例のみと理解できました。
 ここで「巻の皆さん、(ゼンリンの調査員が目に触れるように)神社名を用意すれば、住宅地図に◯◯神社と載りますよ」と書いても、「そんなことは必要ない」と無視されるのが巻の神社でしょう。

山田巻「天白社」 拝礼の後で確認すると、祠には銘がありませんが、玉垣の一柱ごとに「山田◯◯」が彫られていました。
 (事後を含む)事前の調べでは情報が皆無だったので、現地レポートとしては「以上が山田巻の天白社でした」と終わらせことしかできません。
 それでも、諏訪では稀少な天白社ですから、背後の山が「長地トンネル」と立地を書いてみました。しかし、すべてが新しいので、下諏訪岡谷バイパスの用地収容で山際から移転した可能性がありそうです。