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田辺の古社「四ツ家社」 諏訪市湖南田辺 31.3.23

■ 田辺(たんべ)の古名が田部(たんべ)です。文献によって「四屋社・四ツ家社」の表記があります。 

 『諏訪郡諸村並舊蹟年代記』から抜粋しました。

一、田部村
田中氏・岩波氏・小池氏、諺に茅野にツ家・田部に四ツ家という、中村名跡之者龍雲寺旦(檀)生團子と云、然れども其の人古き者の由也、

諏訪教育会『諏訪史料叢書 第三巻』

 突拍子もないので誤記とした「生団子(なまだんご)」ですが、調べると、…これは奥が深い(が、ここでは取り上げません)。まとめとなる「古き者」から、冒頭の三氏に中村氏を加えたものが田辺の草分け「四ツ家」とも読めます。

 『諏訪市史 上巻』の図録『諏訪市史跡・文化財地図』から、四社が載る部分を転載しました。(古代・中世編)とあるように、諏訪市も認めた古社であることがわかります。
 『諏訪史蹟要項』を読んで以来、この地を注目していましたが、ここで、「田辺の古社シリーズ」として巡拝することにしました。


四ツ家社参拝 31.3.16

 ストリートビューで「鎮座地は宮川に架かる橋の袂」と確認済みでした。ところが、現地に立っても同じ景観を見つけられません。

四ツ家社
湖南←四ツ家社→中洲

四ツ家社 「橋を一つ間違えた」との考えに傾きながら交差点のコーナーを振り返ると、案内板らしきものがあります。
 近づくと「四ツ家社」とあり、足元のガードレールに隠れるようにした小さな石祠がありました。御柱も小さいので目に入らなかったのも無理はありません。

 湖南地区健康文化推進会議が設置した案内板です。

 「四ツ家社」は小字「四ツ家」に祀られており「彼の地開発の祖を祀る」と伝えられるが、詳細は記録が無いので明らかでない。
 室町時代中期、田部の人達は大曲から君市(きみいち)へと進出し、更に西へ下って現在の中組の辺りを開拓して居た時、遥か川下に出現した沖積地(後のエビス島)を藤島にならって開発すべく先遣隊として少数の仲間を送り込んだ。
 この人々は宮川端に居を構え、島の開拓を進めたことであろう。これが伝承の四ツ家の起源となったのではあるまいか。

 「藤島にならって…」は、今も続いている旧田部村と藤島社の関係を窺わせます。

一ツ家・二ツ家・四ツ家

 『諏訪史蹟要項』からの抜粋です。

1.田辺
…田辺の発祥はその年代を詳にし得ないが、伝承の言葉に「茅野のツ家、田辺の四ツ家、向こう大熊の三軒在家」といわれ…
2.田辺部落の発祥と移行
 田辺発祥の地といわれる四ツ家の付近は口碑と共に水田と畑地の中に縁田の地名と当時の信仰を偲ぶ社祠が現存する。
 四ツ家社は字(あざ)筆始にあって宮川のほとり文出に近い地であるが田辺開発の祖を祀る…
諏訪史談会『諏訪史蹟要項十七 諏訪市湖南篇』

 各史資料は「茅野のツ家・ツ家」を挙げていますが、参考として、茅野村の古文書や伝承は「四ツ家」を謳っていることを書いておきます。

番外「筆始」

 『諏訪史蹟要項』に「筆始」を見て、「検地で最初に記録する場所──四ツ家社が基準点──誰もが認める古社だからミシャグジ社」と連想しました。

 そこで、同じ用例がないかと検索すると、筆甫(ひっぽ)地区振興連絡協議会『宮城県丸森町 筆甫』のサイトがありました。【甫】の訓読みは「はじめ」です。

地名の由来 〜政宗公が名付けたる 筆のはじめの名も高し これわが郷の誉れなり〜 筆甫の地名の由来は諸説ありますが、大正時代につくられた「筆甫村歌」の中の一節によると、伊達政宗が領土内の太閤検地をした際に最初に検地を行ったことから筆のはじめ=筆甫と名付けられたといわれています。

 ミシャグジ社に「検地の始め」を結びつける説がありますが、諏訪では、それに土地の古名が加わったことになります。関連資料として「竿始め」を挙げてみました。

竿入れ 竿始めの場所に御左口神(みさぐじ)の祭壇を設け、酒・魚・おそなえなどを供えて神事を行う。地祭りが終わると竿を打つ。竿始めの田は、祝儀畝歩(せぶ)が出るので、村の共有地の場合が多い。
諏訪市『諏訪市史 中巻』〔検地仕法〕

 四ツ家社がミシャグジを祀っていると確定したわけではありませんが、田辺最古の神社であることは変わりありません。