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十三所(上十三所・中十三所・下十三所)

 諏訪神社上社の古文献には、「十三所」という神名(神社)の集合体がよく見られます。「上十三所」は、神号や鎮座地から「諏訪明神以前の、土着の神十三座」と定義できそうですが、「中・下」ともなると、なぜ「十三」に含まれるのか首を傾げてしまうものもあります。例えば、下十三所の「御賀摩殿(みかまどの)」は「お釜」ですから、「物や構造物を神格化した」と説明があっても素直に受け入れることはできません。

「摂末社遙拝所」
歳旦祭「摂末社遙拝所の拝礼」

 試しにネットで「御釜明神」を検索したところ、トップに、鹽竈(しおがま)神社の「御釜神社」がヒットしました。「末社でも特別な位置にある」と説明していますから、やはり「現在(自分)の価値観で判断してはいけない」ということでしょう。

 前述の経緯もあって「十三所」がまとまらないでいたところ、幸いにも、武井正弘著『年内神事次第旧記』に「十三所」の注釈があったので代筆してもらうことにしました。

【十三所】 のち上・中・下併せて三十九所に増えたが、最初の十三所を上の十三所と呼ぶ。当初は氏族の神を祀る社、ついで氏から選ばれた神使を祭る苗裔神の社、鎌倉期からは御左口神の王子社として祀られたもので、王子社となるのは八幡社と同じく、若死にした崇霊を祀り鎮め守護神に替えるという、彼岸救済の仏教思想の習合にもとづく處置である。大祝上位式のあと、十三所を巡り、社ごとに立柱に神降ろしをして献饌し、披露の対面式、氏人も加えての盃事を取り行った。

 一応全文を載せましたが、書き写しの最中で「注釈でも難解」ということがわかりました。しかし、「十三所まで踏み込むような暇人は私ぐらいだろう」として、ここで打ち切ることにしました。

摂末社遙拝所(摂社・末社の総社)

「摂末社遙拝所」 左は、「摂末社遙拝所」の上部に懸けられた神号額を側面から見通した写真です。三柱“相部屋”という社殿が十三室連なっていますから、計三十九柱を祀っていることになります。
 この「39」という数字は、上社の重要な摂社・末社である、上十三所・中十三所・下十三所を総計したものです。そのため、この摂末社遙拝所を拝礼すれば、すべての神社を参拝したことになります。「総社」と言い替えてもいいでしょうか。

摂末社遙拝所「掲額」 各社殿には、表札とも言える額が懸かっています。右に挙げた一枚は。社殿の右(上位)側から五番目の額ですから、上十三所では最後となる「穂謨(ほまた)大明神」と、中十三所の「藤嶋大明神」「内御玉殿(うちみたまどの)」です。
 諏訪神社上社(諏訪大社)では、正式には「殿」を“どの”と読み(言い)ます。そのため、古い例では大祝が居住する神殿は“ごうどの”となりますが、これを口にしても諏訪以外の地では通用しないかもしれません。そのため、諏訪大社関係の名称には振り仮名を付けない方が得策となります。逆に、老婆心で「うちみたま“でん”」と振り仮名を付ければ、この人は諏訪大社のことをわかっていないと言われるかもしれません。

「上十三所」

 冒頭に書いた「上十三所」を少しだけ補足します。『上十三所名帳』には、「所政大明神・前宮大明神・磯並大明神・若御子大明神・柏手大明神・葛井大明神・大歳大明神・荒玉大明神・千野河大明神・溝上大明神・瀬大明神・玉尾大明神・穂謨(股)大明神」と「大明神」名で書かれています。
 これらは『記紀』とは名前が繋がらない原諏訪神社上社オリジナルの神々ですが、一応「所政社−素戔嗚命」「磯並社−玉依姫命」などと“古事記仕様”の祭神名が付け加えられています。『記紀』に登場しない神など神ではないとする中央に慮(おもんばか)って付け加えたのでしょうが、それでも対応する神がいなかったのか、瀬大明神が祭神不詳と伝わっています。

“現地からレポート”

 「三十九所」と一括した紹介では、各祭神に対して申し訳が立ちません。直接その鎮座地を訪ねて、一社ずつの現地レポートを書くことにしました。
 諏訪大社にその所在地の「公式見解」を請えば、“存亡”を含めて一気に解決すると思われますが、それでは面白くありません。レリックハンターのインディ・ジョーンズや(今では、それって誰と言われそうな)シドニー気分で、本や資料等を漁ってみました。古絵図や限られた記述に想像力を加え精力的に歩き回りましたが、思い込みから見当違いの場所をうろつくこともありました。
 “現地レポート”は「上社散歩道メニュー」の[上・中・下十三所]で紹介していますので、よろしければ閲覧してください。

 最後になりましたが、「13」は「12ヶ月に閏月を加えた数字」とされています。