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相本社 茅野市高部

相本社

 相本社は、ご覧のように県道16号岡谷茅野線の道下という土地に鎮座しています。そのため、鳥居は、県道の法(のり)面に向かい立つという状況になっています。この特異さは、現在の新道が造られたことに起因します。
 左に見える車の先(後)の頂点が新下馬沢橋です。天井川である下馬沢川ですから、その橋の前後の傾斜を緩やかにするための工法がこの景観を出現させたことになります。因みに、それまでは「高道(たかみち)」と呼ばれる山際の道がメインでした。

相本社本殿 相本社は諏訪湖の名残と言われる「馬場(ばっぱ)の池」の近くですから、地盤沈下が原因でしょうか、玉垣の石柱が傾きそれを両側から挟んだ単菅で補強されています。
 その中を一周りするともう“終わり”なので、覆屋の格子に阻まれて見えない本殿の写真を強引に撮ってみました。結果は、格子で間引きされた社殿が写っていました。

 相本社前の県道は私の通勤路です。御頭祭の時期になると「桜はまだかいな」と、大木であっても横向きで見える梢を注目しますが、柳に代わると相本社は全く視界に入らなくなります。

相本社本殿
 高部村の出身大隅流宮大工藤森広八の文政2年(1858)の作である。広八は名工として郡内外で名高く、上社布橋・新井薬師堂等多くを建てている。
『高部の文化財』から〔相本社〕

八叺様

 案内板には、相本神社を「俗に八叺(やかます)様と呼ぶ」とあります。今の人に「叺(かます)」と言っても通じないと思いますが、その記述が高部歴史編纂委員会『続・高部の文化財』の〔高部故事歴〕にあるので紹介します。

 御船中の神鈴と御幣帛に対し沿道参詣人賽銭を投し納むる事雨の如くなりしと、此處(ここ)に至り例に依り其行列は一時休憩相本神社内に入り之を整理叺内に納む、何時も賽銭八叺宛なりしと、此賽銭の内を相本明神の式年の御造営に宛たりと云ひ伝ふ、亦(また)天正頃迄の御柱祭の盛んなりしを察するに足れり、(原文はカタカナ)
御柱迎えの柴舟
御柱祭「里曳き」(平成16年)

 左は、「御柱迎え」の行列に加わった、御幣を立てた御舟(御船)です。上社本宮を出たこの行列は、先頭の本宮一之御柱に出会うと本宮へ引き返します。背景となった堤防が下馬沢川なので、相本社の手前ということがわかります。
 御舟の中は見えませんが、現在は賽銭を投げ入れるのは沿道の住民だけですから、叺を用意することはありません。

 気になる変則的な社殿の向きですが、その延長線の先は前宮の「御霊位磐(現在の本殿)」でしょうか。「Google Map」の衛星写真を拡大すると、相本社の石垣横に小道(上写真)が表示しました。それを基点に延長すると、期待した前宮本殿とは少しずれていました。もっとも、間には尾根の突端が介在していますから、当時の測量技術では「真っ正面」と言えましょうか。それより、背後がかつての諏訪湖だったはずですから、前宮との関係より諏訪湖に関連した神社だったのかもしれません。