二つの荒玉社 諏訪大社上社関連の本を読み進める中で、荒玉社が二社あることに気がつきました。私が知っているのは「上十三所」の荒玉明神で、茅野市の前宮に鎮座しています。その後、もう一つの“住所”を「諏訪市中洲新玉」と知りましたが、上社関連の故地を求めて「中洲」歩き廻っている私でも、そこにもう一つの荒玉社があろうとは夢にも思っていませんでした。
ネット地図では、大字(おおあざ)の「中洲」までしか表示しません。次に、字(こあざ)を足した「諏訪市中洲荒玉」をキーワード検索に掛けると、…一件もヒットしません。「新」の間違いと気がつき「新玉」で再検索すると、小松内科クリニックが見つかりました。再び地図に切り替えてその名を探すと、通勤路から横目で見ていた「何かの病院」がそれでした。これで、小字名「新玉」の凡その位置が確定しました。
曇り空からの強風に逆らったり後押しされたりして、つい早足になってしまいます。その中で、「小さな石祠のみ」という可能性を気配りに加えて“見配り”しますが、楽勝のはずが惨敗の出直しとなりそうな気配です。
中央自動車道を越えての探索から戻ると住所表示が「神宮寺」と替わり、すでに前は諏訪市博物館です。前方から、「ビクを荒縄で腰にした姿から地元の人に間違いない・これで決着(か)」という年配の男性が歩いてきます。しかし、知っているとの即答でしたが、「あれは藤島神社だったかな…‥・」と先細りとなりました。
「原点に帰って」ということで、小松クリニック近くにある一番歴史がありそうな構えの玄関前に立ちました。顔を出したのは、「これで確定」の確率が飛躍的に上がる超年配の男性でした。彼から、藤島神社の横にある小祠が「荒玉社」とお墨付きを頂き、早速目を入れるための写真を撮りに戻りました。
御田植祭で何回か藤島神社を訪れていましたから、その右に小祠があるのは気がついていました。それを目にしても、今日は二度のニアミスとなった荒玉社ですから、新鮮味は全くありません。しかし、思いの外の手間取りに達成感はありました。
境内に大穴が開いています。一瞬「発掘」と思いましたが、何かゴミを燃やすための穴にも見えます。しかし、諏訪では「野焼き」は禁止されていますから、何かの調査でしょうか。その穴が邪魔になるので、離れた位置から望遠で撮ったのが上の写真です。このアングルではわかりませんが、祠の向こう側が水路で、側道・中央自動車道の巨大な盛土の法(のり)面と続いています。
右の太い御柱は、枠外にある藤島神社のものです。宮坂光昭著『御柱と年中行事』にある藤島神社の項を読み直すと、何と「藤島社は中央道によって移転し、境内には本宮前方水田中にあった荒玉社も合祀されている」とあります。藤島神社の移転は知識にありましたが、この文をよく読んでいれば、荒玉社を探す手間が省けたことがわかりました。しかし、未知のものを求めて歩き回ることは、その結果が徒労であっても、楽しいものになることは間違いありません。