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足長神社 諏訪市四賀 17.8.28

足長神社へ

 前方を注視していますが、足長神社はそれらしきものを一切見せてくれません。「霧ヶ峰入口」とある信号を過ぎると、山際へ向かっていた道は大きく左に曲がり急に傾斜を増しました。すでに、頭に叩き込んだ「突き当たり」の許容範囲内から外れています。タイミングよく現れた広い路肩に車を止めると、その先はさらなる山に分け入るように続いていました。
 目的の足長神社を探しに徒歩で戻(下)ってみました。左側の高台に向けて石段が延びています。ここしかない、と戻した視線は横切っている県道下にも石段を見つけ、最下段には鳥居が見下ろせました。

足長神社の参道
甲州街道から仰ぐ足長神社参道

 旧甲州街道からのアプローチでは、足長神社の社号標と鳥居から、石段の参道へとごく自然に導かれるでしょう。ところが、行く先が霧ヶ峰という新たに造られた車道は、その参道を直角に断ち切っていました。急カーブでは視界はピンポイントなので、鳥居でもない限り見逃すのは当然と納得しました。しかし、行き過ぎの原因は「突き当たり」ではなく「カーブの途中」と、後で地図を確認して分かりました。

足長神社参拝

足長神社「拝殿」 上り詰めると、この地形としては広く感じる境内に出ました。正面の一段高い位置に拝殿がありますが、山の斜面を彫り割った中に無理矢理収めたかのように見えます。
 近づくと、拝殿の周囲は、境内の土の白さとは対照的な秋色に覆われています。松葉などの枯葉が積もっているためにそう思わせるのですが、8月も終わりとあって早々の秋の訪れを感じてしまいました。
 拝殿は「五棟造」とあります。「十字に交差した屋根を4棟とし、正面前部に唐破風(状の屋根)を加えると、計5棟」となりますが、写真を見てもらった方が早い…。

足長神社「本殿」 本殿はさらにその奥で、閉所恐怖症の神様だったら諏訪湖まで悲鳴が聞こえそうな窮屈さです。足長神社の祭神は長い足を折りたたんで、永久に耐え続けるしかないのでしょうか。
 その脇から撮ったのが左の写真です。「後補による渡廊で結ばれた」とあるように、本殿は拝殿と一体化していました。そのため、屋根の連結部には落ち葉が積もっていました。

足長神社「拝殿から本殿」27.10.2 改めて、拝殿の格子戸から内部を観察しました。上部に「足長大神」の神号額があり、左右に昇竜・降龍の彫刻があります。
 ここで、御簾の向こうにある小さな社殿が本殿と気が付きました。今まで本殿と思っていたのは、その覆屋でした。

足長神社について

 足長神社について、補足や日頃から疑問に思っている事跡を挙げてみました。

荻宮社
明治4年『上桑原村戸籍図面』

 上は、足長神社誌編集委員会『足長神社誌』にある折込絵図です。足長宮(神社)・荻宮・御曽着社の位置関係がわかるので、参照してください。

足長神社と荻宮

 諏訪史談会『諏訪史蹟要項』の〔足長社〕の項に「足長神社に見ゆる文献」が載っています。

『足長社帳簿扣(控)
 古代に於て足長并(並び)に手長の両神を合祭し、荻を以て社宇屋上を葺きたるをもって荻宮の称あり。大同年間御表衣祝有員(みそぎほうりありかず)当社を崇敬して社殿を広大に建築す。有員この近接の地に居住し、今に至り御曽着の地名(※御曽儀平)、御曽儀祝の廟社(※御曽儀神社)現存せり。(後略)

 足長神社を解説しているすべての「活字媒体」がこの一文を引用して、「足長神社は荻宮とも呼ばれ、大祝有員が崇敬した」と書いています。しかし、御表衣祝有員の館があったと伝えられる御表衣平には、現在も荻で屋根を葺く遺風が残る荻宮社があります。そのため、ここに出る荻宮は「諏訪神社上社の下十三所の荻宮社」のことで、足長神社とはまったく関係がないと言えます。
 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に収録された『神長本諏方上社物忌令之事』から『下十三所名帳』を取り上げました。

荻宮明神 文殊・足長

 次は、『上中下十三所造営』です。

荻宮 文殊 足長大明神
 彼御神者(は)七日路一足仁行給也

 荻宮社について、前書は「鎮座地が足長」で、後書は「祭神名が足長大明神」と書いています。このように、荻宮社は諏訪神社上社に繋がる十三所の一社で、桑原郷の鎮守社である足長神社とは別の神社であることがわかります。

「…荻宮の称あり」は勘違い

 『足長社帳簿扣』がどのような文書であるのか確認できません。ところが、足長神社誌編集委員会『足長神社誌』の〔(二)荻宮(おぎのみや)明神〕に、以下の文を見つけました。

明治二十八年七月の「古社調」に
古代、足長並びに手長の両神を合祭し、荻を以て社殿の屋根を葺いたので荻宮の称あり。
とある。

 同じ文体から、『古社調』と『足長社帳簿控』にある荻宮社の記述が同一のものであることがわかります。もしかしたら、『神社明細帳』に載せるための調査書を一括してまとめたのが『足長社帳簿控』かもしれません。いずれにしても、『古社調・足長社帳簿控』は、明治期に、中世に書かれた『下十三所名帳』を参照して作られた“新しい由緒”であるとして間違いないでしょう。
 この時に、『十三所名帳』の荻宮明神に「足長」と併記してあったばかりに、足長神社に荻宮社の内容を附記してしまったのでしょう。繰り返しになりますが、現在でも、足長神社を紹介する文に「荻宮明神 文殊・足長」をそのまま受け売りする形で引用している本が大部分です。荻宮社の存在を知らない人は、生涯「足長神社=荻宮」と信じて疑うことはないでしょう。

祭神「足摩乳命」

 足長神社は、祭神を足摩乳命(あしなづちのみこと)としています。しかし、諏訪の特殊性から見ると、『記紀』の神を祀ることには馴染めません。
 足長神社は上桑原郷の鎮守社ですから、言わば“民間”の神社と言えます。その自由な立場から『記紀』の神を“採用”したので、「祭神足摩乳命は…」に続けて「諏訪古来の神」を持ち出すと矛盾を生じます。足摩乳命は、あくまで荻宮の「足長」明神を参考にした“後付けの神”です。
 言わば「八百万神の中から、“足長”に近い足摩乳命を探し出して祭り上げた」ということなので、足長神社の祭神「足摩乳命」を諏訪の歴史に絡めて“どうのこうの”と書くのは“禁句”ということになります。


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