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足長神社と荻宮社 23.7.25

 足長神社誌編集委員会『足長神社誌』にある折込絵図です。

荻宮社
明治4年『上桑原村戸籍図面』

 足長宮(足長神社)・荻宮(おぎみや)・御曽着社(みそぎしゃ)の位置関係がわかるので、参照してください。

足長神社と荻宮社

 諏訪史談会『諏訪史蹟要項』の〔足長社〕の項に「足長神社に見ゆる文献」が載っています。

『足長社帳簿扣(控)
 古代に於て足長并(並び)に手長の両神を合祭し、荻を以て社宇屋上を葺きたるをもって荻宮の称あり。大同年間御表衣祝有員(みそぎほうりありかず)当社を崇敬して社殿を広大に建築す。有員この近接の地に居住し、今に至り御曽着の地名(※御曽儀平)、御曽儀祝の廟社(※御曽儀神社)現存せり。
(後略)

 足長神社を解説しているすべての「活字媒体」がこの一文を引用して、「足長神社は荻宮とも呼ばれ、大祝有員が崇敬した」と書いています。

荻宮社
屋根に荻が置かれている(傾いた)荻宮社

 しかし、御表衣祝有員の館があったと伝えられる御表衣平には、現在も荻で屋根を葺く遺風が残る荻宮社があります。
 そのため、『足長社帳簿扣』に出る荻宮は「諏訪神社上社の下十三所の荻宮社」のことで、足長神社とはまったく関係がないということになります。
 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に収録された『神長本諏方上社物忌令之事』から『下十三所名帳』を取り上げました。

荻宮明神 文殊・足長

 次は、『上中下十三所造営』です。

荻宮 文殊 足長大明神
 彼御神者(は)七日路一足仁行給也

 荻宮社について、前書は「鎮座地が足長」で、後書は「祭神名が足長大明神」と書いています。このように、荻宮社は諏訪神社上社に繋がる十三所の一社で、桑原郷の鎮守社である足長神社とは別の神社であることがわかります。

「…荻宮の称あり」は勘違い

 『足長社帳簿扣』がどのような文書であるのか確認できません。ところが、足長神社誌編集委員会『足長神社誌』の〔(二)荻宮(おぎのみや)明神〕に、以下の文を見つけました。

明治二十八年七月の「古社調」に
古代、足長並びに手長の両神を合祭し、荻を以て社殿の屋根を葺いたので荻宮の称あり。
とある。

 同じ文体から、『古社調』と『足長社帳簿控』にある荻宮社の記述が同一のものであることがわかります。これで、『神社明細帳』に載せるための調査書を一括してまとめたのが『足長社帳簿控』という可能性が高くなりました。いずれにしても、『古社調・足長社帳簿控』は、明治期に、中世に書かれた『下十三所名帳』を参照して作られた“新しい由緒”として間違いないでしょう。
 この時に、『十三所名帳』の荻宮明神に併記された「足長」を見て「足長神社は荻宮社」とまとめてしまったことが容易に想像できます。繰り返しになりますが、現在でも、足長神社を紹介する文に「荻宮明神 文殊・足長」をそのまま受け売りする形で引用している本が大部分です。荻宮社の存在を知らない人は、生涯「足長神社=荻宮」と信じて疑うことはないでしょう。

祭神「足摩乳命」

 足長神社は、祭神を足摩乳命(あしなづちのみこと)としています。しかし、諏訪の特殊性から見ると、『記紀』の神を祀ることには馴染めません。
 足長神社は上桑原郷の鎮守社ですから、言わば“民間”の神社と言えます。その自由な立場から『記紀』の神を“採用”したので、「祭神足摩乳命は…」に続けて「諏訪古来の神」を持ち出すと矛盾を生じます。足摩乳命は、あくまで荻宮の「足長」明神を参考にした“後付けの神”です。
 言わば「八百万神の中から、“足長”に近い足摩乳命を探し出して祭り上げた」ということなので、足長神社の祭神「足摩乳命」を諏訪の歴史に絡めて“どうのこうの”と書くのは“禁句”ということになります。