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どぶろく祭り(御座石神社例大祭)

廿七日、矢崎(やがさき)祭、饗膳已下(以下)ととの(調)うりて後、野火(※狼煙)をあぐ、煙を見て各大年宮(※大年神社)に詣ず、大祝布衣(仮)屋にあり、其の外祠官氏人皆芝居(※芝生の席)に着座、かねて数枚の盾を立てならぶ、軍陣発向(※出発)の儀式なり、盃酌已後(以後)犬追物人数不同、次に御斉所宮(※御座石神社)に詣ず、座席先の如し、神事饗膳畢(終)わりて大草(※ススキ)をとる、五月会参詣の人数をあいととのうる(相整うる※出席者を調べる)儀なり、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第一巻』

 上記の『諏方大明神画詞』では、「矢崎祭」として記述しています。中世の話なので、当然ながらドブロクの饗宴はありません。

「どぶろく祭り」は御座石神社のお祭り 20.4.27

御座石神社例祭「どぶろくとウドの神饌」 神事前の空いている時間を利用して、普段は見ることができない本殿の写真を確保します。神前には、すでに、桶に入った「どぶろく」と三方に載せた「ウド」が供えられていました。
 神事が始まる時間が迫って来ましたが、役員以外の氏子は午後の“宴会”が目当てですから、まだ数えるほどです。巾広い年齢層の女性役員が多いのは、大量のウド和(あ)えを作るこの祭りの特徴でしょうか。

どぶろく祭り「火切り」 8時。まずは火切り神事です。桧の臼に卯木(うつぎ)の錐を押し当てて回転させ、その摩擦熱で火を起こし忌火を作りますが、この様子では1時間掛けても無理でしょう。しかし、力を入れる様子もなく落ち着いています。何か“秘伝の奥の手”があるようです。
 よそ見をして振り返ったら、すでに木の極薄板(カンナ屑)が一気に燃え上がっていました。忌火は、直ぐに(できれば止めて欲しい)コンクリートブロックと石で組まれた炉に移されました。
 男性役員が鹿肉を大鍋に入れ、アクを取りながら煮ます。一方の、栃木「那須の春香うど」は、小さく切ってガスコンロでゆでます。こちらは女性が担当します。新暦で一ヶ月早まった神事なので、“地産地消”は不可能です。

どぶろく祭り「当番の占い」 9時前に、来年のドブロク造りの当番である鹿主を決める占いが始まりました。
 御座石神社宮司が、神前の竹筒に入れた紙縒(こより)の一本を役員に手渡します。開いて名前を確認し、さらに別の役員も確認して右側の総代に見せ、記録係がその名前を記帳します。何回も繰り返すので、横にいた氏子に尋ねると「補欠も含めて6人」と返ってきました。
 終了後、拝殿前で名前を発表し、その後醸造倉にその紙が張り出されました。現在は三町内で持ち回り、その中で話し合いや抽籤などで当番を決める(ような)ので、形式的な占いに替わっていると思われます。

「大年神社へ」どぶろく祭り 新聞の案内では「10時大年社へ出発」とありましたが、ドブロクの桶と鹿肉・ウドを入れた櫃を担いだ行列は、9時40分には動き出しました。
 本には「当番の町内会長らが、行きは本通り、帰路に犬射原社を詣で新道にて帰る」とあります。町中を歩いている写真が載っているので、私もその後について大年社へ行くつもりでした。ところが、何と、神社前に駐車していたタクシーのトランクに神饌を積み始めました。…あわてました。駐車場を借用した「西友」に向かって走りました。後日談になりますが、その写真を見直したら、御座石神社前で撮ったものでした。

大年社例祭

 中世・江戸時代の神事を見ると、(中略) 大年社で青松葉ののろし火をあげる。前宮神原で大祝一行はこの合図を見て、大年社へ向かう。大年社にて盃酌の儀式、そして盾を並べ、出陣の様子を見せる。乾原(いぬいばら・犬射原)にかけて、犬追物が催されるが、今の犬射原社の辺りであろうか。次に御座石社に向かう。
宮坂光昭著『御柱と年中行事』
大年神社例祭
(平成21年4月27日)

 (現在は存在しない)「アップルランド」に車を置き、茅野駅を突っ切って大年社に駆けつけました。神饌はすでに供えられていましたが、神事はまだ始まっていません。
 境内左に、焚き火の灰が丸く残っています。これが、「松葉のノロシ」を今に留めているという杉葉とワラを燃やした跡でしょう。
 アセって汗をかいた割りに、それから30分も待ちました。結局、諏訪大社から権宮司以下2名の神職が来て神事が始まったのが10時半でした。神事はお馴染みのコースです。神饌はすでにセットしてありますから、献饌は瓶子の蓋をとるだけで、撤饌は蓋をするという簡易さでした。

犬射原社例祭

 次は、御座石神社の例祭とは直接には結びつかない犬射原社例祭です。私は徒歩ですから、早めに向かいました。大年社へ向かうときに、同じ道筋にある犬射原社ではすでに準備万端で大勢集まっていました。それを知っていましたから、総代や役員が、今か今かと待ち受けているのが見て取れました。私でさえ「遅い」と思うようになり、その原因と思われる「大年社での直会」を口にしましたが、「そんなことはない」とあっさり否定されました。中には用事があるのか、待ちきれずに帰る人もいました。

犬射原社例祭 11時15分に神職が到着し、(私のスケジュールでは)ようやく神事が始まりました。諏訪大社側では予定通りと思われますが、大年社・犬射原社とも氏子側が延々と待つ結果となりました。もっとも、神事ですから(かなりの)余裕を持って、と考えるべきですが…。
 今日の流れだけを見て判断するのは危険ですが、御座石・大年・犬射原社各氏子間の統率というか連携がとれていないようです。茅野市中心部のエリア内ですが、御柱祭を含む神事は旧郷村の区割りがまだ生きています。携帯が行き渡っている時代でも、その枠を越えて連絡を取り合うのを遠慮しているのでしょうか。
 御座石神社の役員一行は、犬射原社へは寄らずにタクシーで帰ったようです。

御座石神社例大祭

カエデの幣帛 午後1時、諏訪大社から参向の宮司を迎え、御座石神社本殿で例大祭が始まりました。修祓・献饌・祝詞奏上・玉串奉奠・撤饌の現代の神事です。
 「楓の御手幣」を撮るのが目的の一つでしたから、玉串が全て冬青(ソヨゴ)であるのが気になっていました。拝殿横では「LCV」がTVカメラを低い位置にセットして待機しています。これも気になります。
 本殿での神事が終わると、降殿した神職が「鹿の足跡石」の前に整列しました。ここで、ハッと気が付きました。急いで駆けつけて撮ったのが上の写真です。拝礼のシーンは撮れませんでしたが、あわてた割りに御座石神社宮司が供える幣帛のカットはバッチリでした。

カエデの幣帛 (桜が散ったばかりの諏訪ではあり得ない)大きく広げたカエデが、白い紙垂(しで)とともに映えます。これを今日必ず撮る、と決めていましたから、アングルを替えて何枚も撮りました。
 諏訪大社の特殊神事では、カエデを始め、ススキ・コブシ・ヤナギ・セリなど季節の御手幣が供えられます。ところが、新暦に合わせて一ヵ月早まった神事では野生のものが手に入らないので、それを手配するのが大変なようです。因みに、一般的に使われている「榊」は諏訪の寒さでは手に入らないので、ソヨゴ(冬青)で代用しています。

市長も国会議員も諏訪大社宮司もドブロク祭り

これがドブロク 午後の「人間様のお祭り」は、このサイトとは関係がないので省きました。それでも、せっかくだからドブロクの写真だけ公開します。私も初めてだったドブロクは、始めは酸味を強く感じましたが味はまさしく日本酒でした。食感というか飲感は甘酒そのものです。度数は結構あるようなので、「昔は、酔っぱらってリヤカーで運ばれる人が大勢いた」という話も納得できました。

 小学生の頃、父が自家製(密造)のドブロクを飲んでいたことを思い出しました。酒造メーカーの指導で作るドブロクと違い酸っぱくて飲めるような代物ではなかったと思いますが、現金収入の乏しかった時代ではそれでも造らず(飲まず)にいられなかったのでしょう。匂いが強いのですぐ発覚し、警察が・税務署がという(冗談)話はよく聞きました。そんな、半分ベールが掛かった記憶の中を少しだけ彷徨(さまよ)ってみました。