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祓沢(ハレン沢)の石祠 −御射山道− 原村菖蒲沢 20.8.20

 (少し長いのですが)長野県教育委員会編『歴史の道調査報告書』の『大門道』に、〔金沢宿から湯川への道〕の章として《御射山道》の項がありました。自宅近くを通っていることもあって、散歩がてらに出かけてみました。

「御射山道」

 地図の「御射山道」は、現地では「こんな所に道がある」という一車線幅の砂利道でした。その先は、最短距離をとるかのように、目前の小尾根に向かっています。畑中から緑のトンネルに入ると、車道に沿うような凹みの帯が続いています。かつての人馬用の御射山道でしょうか。

御射山道 見通せなかった右側の林が疎らになると、一気に明るさの中に飛び出しました。ささやくような水音も今ははっきりとした瀬音に変わっています。
 この場所には見覚えがあります。「道脇の木二本とその間の石祠二つ」とあれば、このサイトで紹介している「野辺の祠」です。御射山道がここに繋がっていたことに驚きました。

「野辺の祠」は、以下に移植しました。

野辺の祠 平成13年11月20日

秋 刈り入れの終わったあぜ道に慎ましく鎮座しています。祭祀者(所有者)や農作業に通う人にしか顧みられない、(多分)祭神名も不明な石の祠です。
 雪に埋もれ夏草に被われ、朝日を受け夕日に照らされる。自然と完全に同化したこんな祠が諏訪には幾百とあるのでしょうか。

野辺の祠2 平成15年7月12日

石祠 上写真と同じ祠を夏に撮ったものです。夏草に完全に埋もれていますが、もちろんこの状態で一夏過ごすわけではありません。たまたま草刈り前、というタイミングです。来年は御柱祭ですから、丸5年経ちすっかり白くなった一之御柱が傍らの木に立て掛けられていました。画質の大幅な違いは、カメラが新しくなっているためです。


ハレン沢(祓沢)の石祠

祓の宮 「野辺の祠1・2」で紹介しましたが、今日は草が刈られて間もないようで、祠も御柱も見えます。
 それにしても、この道が「御射山道」とは知りませんでした。今その道に実際に佇んでいても、「そう言われても…」が心境です。
 ところで、どこにでもある石祠を「野辺の祠」として、わざわざHPの一ページを割いて載せていたのは何故でしょうか。大祝の残留思念を「何か気になる祠」として感じていたのでしょうか。

祓の社・禊ノ宮(祓いノ宮)

 最近「御射山道」の資料を集めています。8月26日、地元関係は原村図書館でと意気込みましたが、これといったものが見つかりません。その中で鎌倉親喜著『姫ばらもみの里』がありました。

1−2・村名の起こり
(前略)原山祭の記録に「払沢の称の起源は往古諏訪大祝殿毎年七月二十七日原山三光祭典式に付祓の社にて祓除の神式あり、よってこの辺を祓いの沢と総称す。則(すなわち)払沢の称是より始まれり。但し祓の社は南原山道下に今尚存在す」とある。現在の祓沢と払沢とは余程の距離があるが由来はこれによるかと思う。この祓沢の小字は菖蒲沢区の上にあって、小さな石祠が二つ建っている。
7・天狗の森
(前略)今まで払沢と言う部落名の起源は、菖蒲沢の上の御射山道がハレン沢川を横切る近くに、御射山社の神輿のお祓をした処で古い石祠が二基ある。このお祓いによって川の名がハレン沢川と呼ばれているが、払沢とここではあまりにも距離がありすぎる。そこで思うことは払沢の部落が出来始めた頃は、上流のこの辺もハレン沢川と言われたかと思ふ。この川北の尾根を払沢尾根と呼んでいることや、中新田と並んで出来た新田でもあるので、ハレン沢に因んで払沢と名付けたのではないかと憶測する。

 内容は「払沢」の由来ですが、この中に出てくる「石祠二つ」に思い当たるものがありました。これが標題にした、由緒ある「ハレン沢の石祠(御射山道)」でした。大祝も神輿もこの前でお祓いをしたとは驚きです。「野辺の祠」を嘆いた祭神が、7年の歳月を掛けて、原村鎌倉親喜さんの『姫ばらもみの里』を開かせたのでしょうか。
 このサイトを続けていれば、「いつかはこの結末にたどり着く」と考えたほうが自然でしょうが、私は何か熱いものを感じました。

 寛政の頃書かれた、著者不明という『諏訪誌』があります。「一、七月廿七日御射山祭事ハ…」と始まる項に、

祓い(はらい※禊)ノ宮と云有り、社頭に川あり、これを祓い澤と云、御射山参向の人身洗(みそぎ)祓せし所と云」
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

とあります。「長峯(峰)から一里余」とありますから、同じ「ハレン沢の石祠」でしょう。

 細川隼人編『富士見村誌』には、「(明治初年までは)27日の本祭りには、大祝は室内には出ずに祓沢(はれんさわ)に出て、御射山の大祝の小屋(穂屋)に入って祭事を行った」とありました。

村指定史跡に!!

御射山道「祓の宮」 平成26年10月8日に、「菖蒲沢に伝わる御射山道」として、村の史跡に指定されました。
 平成27年9月21日に現地へ行ってみましたが、これも時代でしょうか、背後の田圃は休耕田になっていました。

 案内板「伝承の地 菖蒲沢に伝わる御射山道」を転載しました。

 地名を原山と称するこの地方は、北は柳川、南は立場川、西は宮川を境とし、中世より諏訪明神上社の御狩り神事を行う祭場として神野と呼ばれ、一般の人々は容易に近づけない神聖な地域であった。
 御射山道は諏訪明神上社から御射山社に至る最古最短距離の参詣道であり、諏訪明神の生き神様とも称される大祝(おおほうり)一行がお通りになった古道で、ここに石祠二基と共に現存し、神幸道とも呼ばれている。
 一行は「祓の宮(オンパレー)」で禊(みそぎ)をし、お祓の後、神域に入られたことが伝承されている。お祓の沢だから「ハレン」沢と言い継がれ、御射山祭の祭礼は現在に至るもなお続いている。
 地域にかかわらず、初代高島藩主諏訪頼水は、金沢山金山の廃坑と呼応し、経済力を高めるため新田開発に力を注ぎ、この神野に慶長十五年(1610)に原山新田(現在の中新田)を始め次々に開発の許可を出した。
 以上、神野の史跡として指定し、往時を偲び、ルーツを辿るよすがとするものである。