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藤島社・藤島大明神 諏訪市中洲神宮寺 18.1.2

 諏訪神社(現諏訪大社)上社の「中十三所」では、筆頭に位置する藤島社です。現在も諏訪大社“所管”の摂社なので、藤島神社ではなく「藤島社」としました。上社の御田植祭はこの藤島社の斉田で行われます。

藤島神社「実りの斉田」 18.9.23
藤島社「斉田の実り」 18.9.24

 諏訪大社上社本宮から北へ約500m離れて鎮座する藤島社ですが、耕地整理により、「御座免」から現在の場所へ移転を余儀なくされたそうです。そのため、藤島社の鳥居前に立つと、植生されてはいますが圧倒的な大きさの高速道路の盛り土が左肩に圧迫感を感じさせます。
 残念ながら、移転前の原風景を知りません。中央自動車道を消滅させてから「田圃の中に遠目にも指させる藤の大木があり、その樹下に藤島社の小さな祠があった」と想像力をたくましくしてみましたが…。

藤嶋明神

 藤島神社というと、「洩矢神に勝利した諏訪明神の藤が根付いて…」という言い伝えが思い浮かびます。大祝家文書『信重解状』ではこの藤島社が該当しますが、ここでは『諏方大明神画詞』の「藤嶋明神」の段を紹介します。

(そもそも)この藤島の明神と申すは、尊神垂迹(すいじゃく)の昔 洩矢の悪賊神居をさまたげんとせし時 洩矢は鉄輪を持してあらそい、明神は藤の枝をとりて是を伏し給う、ついに邪輪を降ろして正法を興す、明神誓いを発して藤枝をなげ給いしかば即ち根をさして枝葉をさかえ、花蕊(ずい)あざやかにして戦場のしるしを萬代に残す、藤島の明神と号する此のゆえなり、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 これを読むと、藤明神(藤社)や藤枝明神(藤枝社)なら「なるほど」と納得できます、がなぜ藤“島”なのかがわかりません。

藤島社旧跡地

藤島神社 宮地直一著『諏訪史 第二巻後編』に、〔第四二図 藤島社〕とある写真を見つけました。この本は昭和12年の発刊なので、それ以前に撮られたものとなります。
 場所は特定できませんが、“地平線”に連なっている木々が、旧宮川の堤防に沿ってできた屋敷林と推定できます。

航空写真 国土交通省『国土画像情報』を閲覧すると、昭和50年撮影のカラー版ではすでに耕地整理が完了しており、田畑はマス目状になっています。昭和23年10月版を見ると、まだ昔の面影が残っていました。
 藤島社の旧鎮座地は「御座免」としかわかっていません。ところが、藤島明神が手引きをしてくれたのか、中洲公民館刊『中洲村史』で「中洲字界図」を見つけました。その字(あざ)「御座免」の境界を、写真では縦横に張り巡らされている畦道の線に求めると、同じ形が見つかりました。
 周囲はすべて田圃なので、この境界の隅(右下)にある、家二軒分の“黒い土地”を「藤島神社旧跡地」としました。


‖サイト内リンク‖ 「藤島社御田植祭」