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蟹河原(がにがわら) 茅野市ちの横内

 茅野駅で、メインタイトルは「おいでなして 茅野駅周辺味な街 清水と古跡の小道」ですが、茅野周辺タウンガイドマップ2007年春号『駅周辺ぶらり散歩 清水と古跡の小道』という長い名前の絵地図を手にしました。片面の「駅西口周辺」に目を通すと、「蟹河原」が目に留まりました。
 蟹河原は、『神長官守矢史料館のしおり』にある「…稲作以前の諏訪盆地には、洩矢の長者の他に、蟹河原の長者、佐久良の長者、須賀の長者、五十集の長者、武居の長者、武居会美酒、武居大友主などが住んでいたそうです…」の「蟹河原」です。蟹を「がに」と読むのが、何か曰くを感じさせます。

蟹河原散策 19.3.24

 3月下旬。下り坂が確実という薄曇りの下、達屋酢蔵神社から蟹河原を目指しました。「うとう坂(唄坂)」から、茅野TMOが設置した道標に従って右に曲がります。「春の小川」の風情が残っている水路には、水草が流れに身を任せて揺れていました。名前知らずの菖蒲の葉状の水草・バイカモ・小さな浮き草です。気温は10度を超えているはずですが、正面の風が強引に襟を押し分け寒さを感じます。川沿いの黄梅はすでに色が褪せていました。

蟹河原

 遺跡の案内板(写真中央)から上は、やや勾配のある畑が広がっていますが、それも急激に立ち上がる高い段差に阻まれています。“舞台造”も多くあり、表一階(実は)裏三階建ても見られます。電柱は国道20号沿いにあるものですから、よく通る商店街の国道も、片側の家並みの下が崖であると初めて知りました。当に特異地形です。


茅野断層茅野断層 『地理院地図 Vector』で〔活断層図〕を参照すると、上写真の旧国道(家並み)に沿って「茅野断層」と呼ばれる縦ズレの断層[]が走っています。特にこの附近では顕著に見られるので、一部加工して載せました。
 少し離れますが、国道脇「水準点788.0m}と達屋酢蔵神社付近「標高点772m」では16mの高低差があります。よって、以下に出る「沖積台地の西端崖」は、断層によって生じた断層崖となります。


上蟹河原遺跡

上蟹河原遺跡
上蟹河原遺跡は、国鉄中央線茅野駅西三〇〇メートル地点で、大塚古墳・姥塚古墳などが立地する上川の沖積台地の西端崖下にある。崖の高さは十メートルで、標高は七六九メートルです。春は崖の日溜まりに菜の花が咲き、付近には湧き水による清流が流れており、遺跡全面には沖積地が広がり水稲耕作には最適な地であった。遺跡付近には弥生時代から平安時代にわたる土器等が散布していた。
(中略)
この一帯には弥生時代から平安時代に至る遺跡が存在するが、今は人家と国道二十号線の敷地下になっている。
茅野TMO  

 案内板の「湧き水」に惹かれます。流れに沿って湧水部を探すと、一ヶ所だけ、石の隙間から目に見える小さな波紋が確認できました。徐々に水量が減った川は、上りとなった道にいつの間にか消え、その先をさらに詰めると見覚えのある車道に合流しました。左を仰ぐと、国道との交差点にある諏訪大社の大鳥居でした。

横内菜(よこうちな)

 帰途に同じ道を選ぶと、その中程でお年寄りとすれ違いました。その前に子供からの「こんにちは」に同じ言葉を返したこともあって、挨拶をしました。通り過ぎてから「このまま帰るのは…」とその後を追うと、「こんにちは」が効いていたのか、私の問いに気持ちよく応じてくれました。

上蟹河原の湧水 「(水路から崖まで続く畑にある)「横内菜」は、冬枯れても新しい芽を出し彼岸過ぎには食べられる。今年は暖冬なので、もうコワくて食べられない」と言います。よく見ると、確かに蕾が見えます。

 「東と南風はあたるが、西と北風は上を登ってゆく。石が多いから日中の蓄熱で夜間も暖かい。この崖はフォッサマグナの断層の跡。(昔は)田圃があったので今でも(水路に)浮き草がある。明日は出払い(共同作業)で水草の除去がある」 「子供の頃はカニが捕れたが、(捕るために護岸の)石を崩すのでよく怒られた。上の幾つかの事業所(具体的な名前が挙がりましたがここでは控えます)がボーリングして地下水を汲み上げているので、水量は半分に減ってしまった。市では案内板を立て散歩道のコースを指定しても、(片側はコンクリートで固めてあるので反対側の)護岸石の整備はしてくれない」とこぼしました。
 私は、今は片側になってしまった積石の方が自然のままでよい(茅野市もその方針と)と思うのですが、地元としては何か思うものがあるのでしょう。

 なかなかの博識で私とよく話が合います。その中で、私も入院時に経験がある、鼻に付けたチューブが気になっていました。その先をさりげなく目で追うと、携帯用の酸素ボンベです。それを収めたこれもまた携帯と言えそうな一輪車を左手、右手には菜っ葉の入ったカゴという出で立ちでした。

横内菜 別れ際に、一カ所だけに咲いていた「ナノハナ」を持ち出すと、「それが横内菜」と言われてしまいました。実は、この時まで「ナノハナ」を固有品種の名前と狭く捉えていました。彼はそれを指摘したわけではありませんが、確かに、「ナノハナ」はノザワナなどの「菜」の「花」でした。

 彼が口にした「横内菜」は、地名である「横内」固有の在来種でしょう。もしかしたら、蟹河原の長者が栄えていた頃からあったのかもしれません。案内板にあるように、豊富な水がこの辺りを富ませて「蟹河原長者」を誕生させたのでしょう。現地に立つと、口碑でも納得できるものがありました。


 調べると、「【菜の花】は、アブラナまたはセイヨウアブラナの別名のほか、アブラナ科アブラナ属の花を指す。アブラナ属の主な種の一つに、アブラナ(在来種を含む)・ミズナ・カブ・コマツナ・ハクサイ・チンゲンサイ」とありました。カブやコマツナはともかく、白菜(ハクサイ)の花が想像できません。


下蟹河原の神々

唄坂
下蟹河原  うとう坂  上蟹河原

 古来からの道とあって車が通行できない「うとう坂」をはさんで、左が「下蟹河原」になります。
 一旦大道まで下り、右方の家並みの隙間から断層崖を見ながら、それに付かず離れずの道を歩きます。鳥居が望めるので、そこへ向かう小道に入ってみました。

稲荷社と小路
『ちの町史』〔明治 35年頃の茅野町区略図〕では「稲荷社」

 辺り一帯に小さな祠が幾つか確認できます。いずれも御柱があるので見落としがありません。その一つに寄ってみましたが、鳥居と燈籠が完備していても、祭神は確認できません。
 この小路の先は、(バイパスができたので)旧国道です。それはわかっていましたが、下から登ると「アッ、ここに出るのか」と、魔法のように現れた見覚えのある街並みに驚きました。まるで「天と地の連絡通路」のようでした。商店街は徒歩でも車でも数え切れないほど通りましたが、人一人がやっとというこの小路の存在には気が付きませんでした。

天白七五三社 上に一部見えるのは、裏から家屋を支える鉄骨です。その下にひっそりと佇んでいたのが「まき・巻」と呼ばれる同族の祝神です。その退色具合から正月に供えたのでしょうか、輪注連(わじめ)がポツンと置かれていました。
 後日、「天白(神)」関連の本に見覚えのある写真を見つけました。文と写真から同じ祠であることがわかりましたが、「天白七五三(しめ)社」と固有の名があります。ここで、祠の側面に「天白七五三」と刻まれていたのを思い出しました。
 実は、考古好きの仲間から「天白も面白い」と聞かされていましたが、「ミシャグジ」だけでも持て余しているので、深追いを止めているうちに忘れていました。