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児玉石神社(兒玉石神社) 諏訪市湯の脇 17.8.16

 児玉石神社は、兒玉石神社(長野県神社庁)とも表記します。ここでは児玉石神社で統一しました。

 児玉石神社の小さな標識の先は、旧甲州街道に沿って続く民家の間でした。ある意思を持ってその小路を正面にすると、何か別世界の入口のように見えました。

児玉石神社

 「どんな神社だろう」と思う間もなく現れたのが、大石がゴロゴロという児玉石神社でした。やはり気になります。誰もがするように神社の周囲を見渡しましたが、類似の石を見つけることはできませんでした。この場所だけの特異地形なのか、または人為で集めたのか、不思議と言うしかありません。この奇怪な景観となった石の組み合わせが、「諏訪七石」の一つ「児玉石」と言われる所以(ゆえん)でしょう。

児玉石神社拝殿
「いぼ石」穴にたまった水で洗うと治ると言われる。

 今日は児玉石神社(の参拝)に来たのですが、「児玉石を見に来た」と言い替えた方がよさそうな状況となってしまいました。それほどの存在感がありますから、児玉石神社への拝礼は、それぞれの石を順に巡った後の「さー、帰るか」の次の行為になってしまいました。

疣石

 長野県文化財保護協会『復刻版長野県史跡文化財天然記念物調査報告書』には、「児玉石は、上部の崖にあった石が長年の雨水によって崩れこの場所に止まった」とありました。
 上写真は、児玉石神社で最大の石です。注連縄が掛けられていますから「神石」という位置付けですが、名前は「疣石(イボ石)」です。再び同書から引用しました。

疣石 北面中央に口径四寸深さ一尺程の穴あり。中に水を湛え古来疣水と称する。寒暑の侯絶ゆることなく諸人疣の生ずる時其の水を拝裁しこれを付すれば能く治すといえり。

児玉石は勾玉か

【児玉】 児玉石は「諏訪七石」の一つとして知られていますが、そもそも「児玉石」とは何でしょう。手元の辞書で確認すると、“児玉さん”はありますが「児玉石」は載っていません。ネットで検索しても児玉石の用例はほとんどありません。その中で、「玉改め」で知られる長野市松代町「玉依比売命神社」の「児玉石神事」に注目しました。

 児玉石は玉依比売命神の神威によって集まったもので、毎年正月7日の早朝に玉改めの神事が行われる。この神事がいつ始まったものかは古来の記録がないので明らかでないが、明暦年間(1655〜1658)にはすでに60個あまりあり、宝永三年(1706)には292個、文化七年(1810)には634個と寄進によってしだいに増加してきた。
 昭和43年には総数786個だったが、この中には玉以外のものもある。(後略)
長野市教育委員会文化財課「玉依比売命神社児玉石」

 この神社では勾玉・管玉・切子玉・大珠などを「児玉石」と総称しています。しかし、私がイメージするのは、あくまで胎児の形に似ているといわれる勾玉です。

【勾玉】 児玉石神社を紹介する際に、よく“引き合い”に出されるのが、古歌の「水底照らす児玉石」です。

須波の海 水底てらす児玉石 手にはとるとも袖はぬらさじ

 しかし、ここで歌われる児玉石のイメージは、手のひらに乗る翡翠の勾玉です。そのため、境内に“珍座”する児玉石は「大石」ですから、これを挙げること自体に違和感があります。各書とも両石の関連性を書いてないので、単に「名前が同じだから」という発想でしょう。

『兒玉石神社由緒記』

 境内に案内板があります。「神が袖を濡らさずに大石を取り上げた」という表現で、古歌は並記していません。私と同様に「水底照らす」はイメージに合わないと判断したのでしょう。
 勝手ながら「新・児玉石神社縁起」として書き下ろしてみました。

 まだ諏訪湖が今よりズーッと広かった頃、村娘が渚で青く光っているものを拾い上げた。それはヒスイの玉だったが、肩まで水に浸かったはずなのに袖は濡れていなかった。村長(むらおさ)に話すと、それは「神様の玉に違いない」ということになった。
 そこで、昔から鎮守として崇めてきた「大石様」の一画に祠を建てて、「児玉石様」として祀ることになった。
…おそまつ!!

児玉石神社の創立期

児玉石神社から諏訪湖を臨む
「諏訪湖を臨む」左の杜が児玉石神社 24.10.2

 諏訪には、神々の名前と鎮座地を列記した書物が残っています。『祝詞段』には嘉禎三年(1237)の奥書があり、『根元記(下)』は「嘉禎年中」とされています。この両書に「小玉石・子玉石」が書かれています。何れも、諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から転載しました。

『祝詞段』 下桑原鎮守・大矢・小玉石・湯ノウ権現・上下ノ御社宮神・武津子ノ神…
『根元記(下)』 下桑原鎮守・ヲ々ヤ・子玉石・湯之権現・上下御社宮神・武津ニ子ノ神…

 「下桑原鎮守」は手長神社のことです。句読点[・]は私が勝手に加えたので「大矢(に)小玉石」かもしれませんが、「小玉石・子玉石」が「児玉石神社」に当たるのは間違いありません。この両書を“基準”にすると、神社の創立は「嘉禎年中(1235−1238)」以前となります。
 代わって、境内にある『兒玉石神社由緒記』からの抜粋です。

『根元記抄』に“創立年月は不詳であるが、遠い昔より下桑原鎮守大矢小玉石湯之権現として、原住民の崇敬を集め産土神として祀られていた”とあり、小玉石神社であろうと考えられる。依って、文明十八年(1486)以前の創立と伝えられている。

 私は『根元記抄』なる本の存在を知りませんが、「  」が『祝詞段』『根元記(下)』とまったく同じです。そのため、この説明には何か胡散臭(うさんくさ)いものを感じてしまいます。

児玉石神社の御神体 24.5.27

 本殿にある御神体を拝観することはできませんが、巷では“石棒”であることが知られています。昭和32年発行の今井邦治著『神座社壇を主題とする諏訪大社成因の考察』から、関係する部分を抜粋しました。

その七石の一つとして伝えられるものに、諏訪市湯ノ脇地区の児玉石があるが、先年この児玉石の御神体をあばいたら、それは生殖器の男根であったので、一時話題を呼んだものである。

 「あばいた」という表現が露骨ですが、これで「御神体が石棒」であることがわかります。ただし、伝世品なのか後世の奉納品なのかはわかりません。
 石棒を神体とすれば、境内にある大石は「諏訪七石の児玉石」ということになり、よくある「神木」の類と同じものとなります。ただし、この世界では、そう単純に割り切ることはできません。