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上桑原御頭御社宮司社 諏訪市四賀角道 21.5.23

 諏訪大社社務所刊『諏訪大社復興記』に、「大社に直属せる境外摂社」の一つ「御頭御社宮司社(諏訪市四賀字角道鎮座)」が載っています。私には馴染みがない神社ですが、「摂社」なので簡単に見つかるはずでした。ところが、幾つかあるネット地図を拡大しても“出て”きません。
 地図サイトの一つに『ALPSLAB base』があります。ここは“神社に強い”ので、最後はここに頼ることにしています。睨んだ場所に鳥居の「凡例だけ」が表示しましたが、縮尺が1/25000なので大ざっぱな場所しかわかりません。

現在はサービス終了

 諏訪史談会『諏訪史蹟要項 諏訪市四賀篇』の〔御頭御社宮司社〕の項に、「角道小路にあり、境内に天満宮の木の祠・御嶽山大権現及び天白様の石祠並べあるも、(中略)また、妙義山大権現の石碑は…」とあります。別の「鎌倉道」の項には、「足長神社の前−太夫久保−桑原御社宮司社前−横道−学校敷地下」とあるルートが書いてあります。
 足長神社拝殿前の小道が「鎌倉道(街道)」で、旧諏訪上社神職・籬太夫(まがきたゆう)の旧居があったという「太夫久保」も知っています。地図を参照すると、「太夫久保」と四賀小学校の「敷地の真ん中」を結ぶ「古道と痕跡」が見えてきました。
 「角道」ですが、現在は廃止された字なので地図から追うことはできません。これだけ「ヒント」が揃ったので、とにかく現地を歩いてみよう、ということになりました。

四賀御頭御社宮司社

 旧甲州街道は狭いので路上駐車ができません。足長公園に車を置いて、旧街道に踏み入りました。この辺りは一度歩いているので、見覚えのある小路を選んで「鎌倉道」が残る山際に向かいました。第一候補地は外れましたが、二番目に推定した辻に立つと、…見覚えのある神号碑と祠がありました。
 境内を観察すると、「御嶽山・妙義山・木祠・石祠二棟」のすべてが符合します。「何だ、ここだったのか」でした。去年の春、写真こそ撮らなかったものの、木祠をのぞいたり石祠の銘を調べたことがありました。
 なお確認と、覆屋の中にある高さ1mほどの木造祠を観察しました。鬼板に小さな何かが貼り付けてあります。径5mmくらいの丸い銅板が、中心を含めて4枚残っています。釘跡二ヶ所から、かつては外周に円盤が5ヶ所あったことがわかりました。神紋の「梅」に間違いありません。記述通り「天神社」でした。

 残る難題は、どちらの石祠を「御社宮司社」とするかです。両社とも手掛かりになるようなものはありません。注連縄も中の幣帛も同じ新しさです。地元の人に聞こうと周辺を歩いてみましたが、昼食時とあってか、人影どころかネコ影も見えず犬の鳴き声も聞こえません。

御社宮司社と天白社の「祠」 「天白祠は明治の始めにここに移された」とあったので、参道の石段−幟枠ラインの先にある、境内中央と思われる左の祠を御社宮司社としました。しかし、推測と確率50%では“神違い”があり得ます。仲良く並んでいることもあって両神を紹介することにしました。
 後日、四賀村誌編纂委員会『四賀村誌』に上写真と同じものが載っており、「御頭御社宮司社(向かって右。桑原角道通りにあり、通称オミシャグジ)」と説明があるのを見つけました。それでも、私は、鎮座場所から左を御社宮司社としたいのですが…。

 改めて国土地理院の地図で確認すると、その場所に鳥居の凡例がありました。トップの写真が、現在(状)の鳥居もない「御社宮司社」です。公式地図に載っているということは、民間の住宅地図では無視された「御頭御社宮司社」を、国では現在でも「格式の高さ」で認めていることになります。それとも、民間と違い地図の更新はめったにしませんから「旧来のまま」…。