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真弓湛木跡(檀湛木跡) ver23.7.17

 各種の文献や古絵図に「真弓・檀」が見られます。定説は「流鏑馬社前」ですが、私説を含めて幾つか紹介します。

真志野説」

 諏訪史談会編『諏訪史蹟要項 諏訪市豊田篇』に載っている、西沢明氏記とある「真弓たたえ」の話です。原文を転載したので読みにくい部分があります。

 やごんば塚(※山姥塚)の五十米ばかり下方にあって、口伝でまゆみたたえの木と云われる。諏訪の七たたえの木の一本だと云われており、筆者の幼時から古木があって、きのめの木と云って(中略)その木は皮ばかりで生きており、次第に枯死して仕舞った。
 社地に古くより三つの木の祠があって、一社は八幡社、一社は稲荷社と云って、それぞれの氏子があって祭りをしている。氏子のない一社は天神様を祀ってあると云って、八月二十五日に子供がやぐら等作ってその真弓の木によって(寄って)祭りをしたもので(中略)その祠は無くなってしまった。
 その後、真弓塚が野明神社(習焼神社)の下にあり、「まゆみたたえの木の野明の付近にあり」とかの古い文書が出たとかで、その方がほんものかとも云われ、この問題から二つのたたえ木のあることになっているが、古木のあったことからこちらが本物のように思われる。

 また、「山姥塚」の項では「百米下方に真弓たたえ木のあった祝神があり、この古塚と何か縁由があるらしい。昭和三十二年崩壊してしまう」とありました。以下は、その「現地レポート」です。

真弓湛祠 古墳「山姥塚」から約30m下ると、右に古びた木造の鳥居と玉垣がありました。これだ、と正面に廻ると祠が3棟並んでいます。中央が石で左右が木造です。『諏訪史蹟要項』の「祠2棟」と「50m及び100m」が“現実”と計算が合いません。再び山姥塚に戻りました。
 向かいの庭先に男性の姿が見え隠れしています。早速「下にある神社ですが」と声を掛けると、わざわざその前に同行して「現説」をしてくれました。「右が八幡社で左が稲荷社」と確認できましたが、中央の石祠は「わからない」と言います。消滅した木祠の跡に石祠を据えた、とすれば「西沢氏の話」とつじつまが合いますが…。

真弓湛木跡 また、「真弓の木があったと聞いている」との話から、一つの説として、この辺りに「真弓湛木」があったとしました。
 写真は、前出の祠三棟を横から広範囲に撮って“この辺り”としたものです。

真志野説」

 前出の『諏訪史蹟要項』に並記された「南」真志野説ですが、よく知られているためか具体的なことは書いてありません。代わりに、流鏑馬社の境内にある案内板から一部を転載しました。

◎「真弓湛木」は当社前の田の中にあったと伝えられる。諏訪神社の「上社物忌令」の中の七木七石の中に真弓湛木が記されている。御社宮司の依り憑く斎場として、上社の重要な祭祀場所であった。流鏑馬社の西続きの地を「真弓塚」ともいう。
真弓湛木跡(檀湛木跡)
長野県立図書館蔵『信濃宝鑑 六巻』(信州デジくら)

 明治33年発行の渡辺市太郎編『信濃宝鑑』に、〔習焼神社之景〕があります。
 この隅に真弓塚が描かれていました。本文を読むと「本社艮(うしとら※東北)の方に小地あり、真弓塚と称し真弓湛の旧跡にして諏訪上社七湛の一なり」とありました。

真弓塚跡 現在は畑が広がっていますが、流鏑馬社の前から習焼神社の方向に目をやると、フェンスの向こうに、今は石で囲われた真弓塚が見えます(現在は埋め立てられて消滅)。〔習焼神社之景〕では真弓湛旧跡と書いているので、かつては真弓の木があったのでしょう。

 江戸時代に書かれた『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』から〔一、真志野村〕を載せてみました。

習焼社祭礼酉祭(※御頭祭)七日下り定式 源太夫屋敷 注連高屋敷 真弓田 真弓湛木右社脇ニ有之(これあり)しや、寛政之始迄は少し古株有之、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 「右社」は習焼神社のことなので、「習焼神社の脇に真弓湛木がある」と書いています。ついでなので、習焼神社の神主が源太夫・巫女が注連高(しめたか)、真弓田はかつての湛え神事を賄うための免田と解説を入れました。

「神宮寺宮田渡説」

檀湛 田中積治編著『諏訪の七石七木』は、小冊子ながら諸説を詳しく紹介しています。その中の「諏訪の湛の木に就て(今井黙天稿)」で、「…檀の湛木中洲神宮寺区宮田渡上之宮神殿中部屋付近。一に曰う、湖南真志野…」と二説を挙げています。その一説が、『上社古図』から来ているのは間違いありません。
 ここでは、茅野市神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』の一部を用意しました。見ての通り「檀湛」と書いてありますから、これ以上説明することはありません。ただし、『諏訪藩主手元絵図』では同じ場所に「松木湛」とあるので、最下段のリンク「松湛木(松木湛木)跡」もご覧ください。

 湛木に限らず木には寿命があります。その度に更新された・一代限りで「跡」となった・同種の木を他所に求めて移動した・違う種類の木に替えた・祠に替えたなどの変遷も考えられますから、候補地が幾つあっても不思議ではありません。


‖サイト内リンク‖ 「松湛木(松木湛木)跡」