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御飯殿・御炊殿 諏訪大社上社本宮内

御飯殿/御炊殿 「御座石」と「相本」に挟まれた、「みかしきどの」と読む「中十三所」の一つが「御飯殿」です。一般的には「御炊殿」と書かれるので、以降は御炊殿とします。
 この名前は、昭和38年発刊の諏訪大社社務所編『諏訪大社復興記』には載っていません。諏訪史談会『諏訪史蹟要項』には「大宮の内」とあるので、かつては、諏訪大社上社本宮の境内にあったことになります。

御炊殿とは

 『下諏訪町誌』に、「古来の上社々殿とその配置については、天正十年織田勢のため焼失してしまい以前の結構を知る由もないのであるが、『信濃國昔姿』によりその概要を記し、もって往昔をしのぶこととする」と書いてあります。その後、諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に『信濃國昔姿』が収録してあるのを見つけたので、抜き書きしてみました。文政2年に書かれた書物です。

御炊殿 神前南の方に有、諸人神前へ献供の願有れば此所にて炊て献る、神前へ備え祈願は五官両奉行宮嶋は上勤の人斗也、炊大夫山口小高也 又四ヶ寺八坊是等皆上勤之人也、八ヶ坊皆神宮寺門徒也

 神饌を煮炊きするのが御炊殿とわかりますが、神前に供えて祈願するのは上級の神官である五官・両奉行と宮嶋氏で、調理人が専門職「炊大夫」の山口小高であることが読み取れます。

御かしぎ殿

 文明16年(1482)の『十三所御社参次第』には、

御正面へ御社参有り、(中略) のつと(祝詞)申、御へい・御手楽
(御手幣)取申し神前献げ、御手をはらわせ申す、さて御かしきとのへ御参ありて御手くらまいらせ、

とあります。「大祝が神前に幣帛を供えて柏手を打ち、次に御炊殿にお参りした」というような内容でしょう。ここでは、御炊殿が「御正面(現在の神居)」と同じ上壇にあることが読み取れます。

御飯殿

 天正7年(1579)とある『上中下十三所造営』に、御飯殿の「玉垣・鳥居の造営は坂木船山の役」とあります。この時代では単なる“神饌煮炊所”ではなく、神格化されて鳥居と玉垣で囲われている事がわかります。

『上社古図』

 江戸初期作と伝わる、神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』です。現在見る「硯石」の辺りに「御炊殿」が描かれています。

御炊殿 ところが、寛政期に描かれた絵図では御炊殿はなく、隣の「御供所」が御炊殿になっています。この時代ではすでに式年造営による建て替えが困難になっており、社殿の統廃合があったことがわかります。
 現在は「御供所」ですから、その後に御炊殿の実体がなくなったことになります。ところが、今でも摂末社遙拝所の額に「御飯殿」を読むことができるので、それに目を留めた人は「これは何だ」と悩むことになります。その一人である私が、乏しい資料をかき集めて整理したのが以上の一文です。