諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社散歩道メニュー /

御室社 18.6.30

 諏訪大社上社前宮を取り囲むように○○社と呼ばれる神社が多くありますが、いずれも小さな石祠がポツンという状態です。左に十間廊、右に内御玉殿を眺める短い石段が終わると、かつて「御手祓(おてはらい)道」と呼ばれた道が交差します。その辻の右に、多分誰もがまず仰ぎ見るというケヤキの大木があります。

御室社 11.1.1 その後、根元に戻した視線が捕らえるのが、何か曰(いわ)くありげに佇(たたず)んでいる「御室社」と呼ばれる小さな祠です。その「曰く」も、背後の塀に焦点が合うとたちまち現実に引き戻されてしまいます。「佇む」という腰が座っていないような表現も、この前を通るときにはいつも、「何かこの場所にしっくりこないなー」と感じることにあります。

御室社 「全ての神祭りは、始める時に神を降ろし・終了すると神を昇らせ祭場を現状復帰する」のが本来の姿だそうです。ここでも、その都度祭場となる「室(むろ)」が造られ・取り壊されたそうです。
 その特殊性から、祠を造った後で御室神事が廃れたのではなく、「ここで御室の神事が営まわれていた」という事実を伝えるための“記念碑”と見たほうが正確かもしれません。そのためか、私はどうしても「たまたま空いていたこの場所に祠を据えた」と見てしまいます。

御室神事と御室社

 神宮寺区蔵『上社古図』では、荒玉社の近くに「御室殿(みむろどの)」が描かれています。宮地直一著『諏訪史第二巻後編』から「第六図 上社古絵図(前宮・神原)」の一部を転載しましたが、絵図なので距離や方角は正確ではありません。

御室社

 御室の構造が知識にあるので何となくそのイメージが浮かんできますが、そうでなければ何が描いてあるのかわからないでしょう。研究者は、この古絵図から「(社務所脇を通る)高道(たかみち)の下方に御室が造られた時代があった」と推定しています。

御室社
中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室(つちむろ)が造られ、現人神(あらひとがみ)の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに「穴巣始」といって、冬ごもりをした遺跡地である。旧暦12月22日に「御室入り」をして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。
安国寺史友会 

 上社には、上・中・下の「十三所」とよばれる摂末社があります。御室社は「下十三所」に含まれ、総合ランク(位置づけ)から見ると下から5番目に当たります。安国寺史友会の説明では「特殊神事として重要視」となっていますが、「御室神事」が廃れた結果、代わって造られた祠が、その時点でグループ「下」に「御室大明神」として加えられたのでしょう。

御室社祭
現在の「御室社祭」 19.12.22

 御室神事は「諏方大明神画詞」や「年内神事次第旧記」などに記述されています。奇怪な内容は、要約して紹介するのは不適なので、前述の地元安国寺の歴史好きな皆さんが設置した簡潔な案内板に任せることにしました。