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御頭御社宮司総社 茅野市高部

 御頭御社宮司社とは、「御頭神事を司(つかさど)る御頭郷の御社宮司社」を指します。そのため、神長官屋敷にある「御頭」を冠した御社宮司社の名称には何か違和感があります。地元の研究者も「御社宮司の本社(質)は前宮だから、(御頭御社宮司総社は)守矢家の屋敷神」と見ています。

 大久保千鶴子著『地名が語る茅野市のむかし』があります。〔御社宮司という地名〕から、関係するものを抜粋しました。

地名となっていない村々の御社宮司が、かなりあるからである。それらは (中略) 前宮本殿の大御社宮司神長守矢邸内の総御社宮司、同じ高部の権祝邸跡の清水ミシャ、旧擬祝邸跡の伊藤御社宮司、などである。

 古文献に「御頭御社宮司総社」は見当たらないので、地元で呼び習わされている「総御社宮司(社)」が一番“堅実な名称”かもしれません。

23.11.15 加筆

 講演会『守矢神長家と御柱祭』の中で、講師の守矢早苗さんが「御左口神総社」と話し、ボードにも書きました。星の数ほどある「御社宮司社」ですから、この“表現”が一番よさそうです。

27.6.4 加筆

御頭御社宮司総社

 「御頭+御社宮司+総社」の捉え方によって、解釈の違いがあります。ここでは、現・守矢家の当主が『神長官 守矢史料館のしおり』の〔守矢神長家のお話し〕中で「御頭御社宮司総社(以下、御社宮司総社)」としているので、それに沿って進めます。

御頭御社宮司総社と神長官守矢史料館 20.2.11

 写真中央に位置する御頭御社宮司総社の前に立つ人は、幾つかあるパターンを踏んで「これが御頭御社宮司総社か(または、これは何だ)」と、壇上の古社を仰いだと思われます。初めから御社宮司総社が目的だ・いや私は神長官屋敷が気になって・それより県宝の守矢文書のほうが・イヤー絶対に大祝のお墓だ! と動機はそれぞれあるでしょう。最近では、「建築物」としての「神長官守矢史料館」を見学にくる人も多いようです。
 私との縁は、平成10年の御柱祭「里曳き」です。昼食休憩で時間を持て余していた私は、この機会に、と目の先にある神長官守矢史料館へ向かいました。張り紙があります。正確な文面は忘れましたが「入館料100円で水洗トイレ」でしょうか。特に女性に言えますが、御柱祭で深刻なのがトイレです。それを見越してのことでしょう。入館料増も見え隠れしますが、…私も利用しました。この時にチラッと見たのが御社宮司総社でした。

御頭御社宮司総社と梶の木
御頭御社宮司総社  ↑枯れた梶

 次は「梶」でした。平成14年5月、諏訪にある梶の大木の一つが神長官屋敷にあると聞き、勇んで出掛けました。ところが、案内板にある樹齢およそ100年の梶はすでに跡形もなく、「40年の木」も樹液を失った姿をさらしていました。

ミシャグジ・御社宮神

 全国の、地元では「ミシャグジ」と言う「御社宮神」の総本社がこの御頭御社宮司総社です。覆屋の下の祠には「かつては石棒が祀られていたはず」と研究者は言いますが、現在はどうなのでしょう。
 左右には同じ規格の祠が並んでいます。高部歴史編纂委員会『続・高部の文化財』では、右から稲荷社・天神社、「霊石」を挟んで神明社とあります。写真には写っていませんが、右手前にイチイの生け垣があり、守矢家の氏神とも屋敷神とも言われる岐神社と千歳社が坐しています。

 およそ諏訪の神社は全て御社宮神を祀っていた、というのも過言ではないそうです。それが、「ミシャグジなどという実体不明なモノは認めない」という中央からのお達しで、多くの神社が、「建御名方命」を始め古事記に繋がる神を“祭り上げた”といわれています。

 サイト『長野県神社庁』のリストには、「御頭御社宮司総社」の名はありません。“対外的”には倉稲魂命や天照大神などの境内社を置いたものの、主祭神の「御社宮神」にこだわって法人登録をしなかったのでしょうか。

御頭御社宮司総社 19.4.14
「八ヶ岳を臨む」space稲荷社space天神社space御頭御社宮司総社

前宮二十の御佐口神

 「ミシャグジ」の詳細は刊行本にお任せして、茅野市教育委員会設置の案内板を転載(抜粋)しました。

神長官邸のみさく神境内社叢
 みさく神は諏訪社の原始信仰として、古来専ら神長官の掌(つかさど)る神と言われ、中世の文献「年内神事次第旧記」・「諏訪御符礼之古書」には「前宮二十の御佐口神(みさくじ)勧請・御佐口神配申紙は神長の役なり」とある。このみさく神は、御頭みさく神とも呼ばれ、諏訪地方みさく神祭祀の中枢として重んぜられてきている。

 このサイトを運営するには“必携”と購入した、武井正弘著『年内神事次第旧記』ですが、未だに身分不相応の存在になっています。その本にある毛筆を活字に変換した訓読文を開くと、「正月一日の御占之事」には「六人御佐口神ニハ印判三つゝ、残十四人ニハ印判二つゝ。御符御佐口神ハ神長殿役にて所々へ入申候」と書いてあります。
 意味不明なので「補注」に頼ると、「六人の神使と、神使御頭に奉仕するため県(あがた)各郷を代表する十四人の神主それぞれに、神長が御佐口神を降ろして御符紙に記した御札を渡す。同様にして認めた御佐口神の御符も、神長の計らいで所々へ入れられた」となります。案内板にある「前宮(の計)二十の御佐口神」は、これで(少しは)わかりやすくなった…。