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御射山社参詣古道 富士見町神戸

今は廃れた御射山社参詣道 20.7.6

 一昨年の御射山祭で、御射山神戸(みさやまごうど)区の役員から頂いた『原山様の神々』の資料があります。中々の労作なので一通り目を通していたら、昭和20年頃まで使用されていたという「古道-2」に目が留まりました。概念図なので地図と違い漠然としたものですが、スタート地点になる鳥居の位置だけはわかりました。

御射山社→参道並木→諏訪南IC

 「御射山社への参詣古道を歩いてみよう」が今回のテーマですが、御射山社がスタート地点になりました。実は、「古道」とあって地図には載っていない上に、その中間点は中央自動車道「諏訪南IC」の工事で“攪乱”されています。そこで、間違いようがない「御射山社→IC(附近)←入口鳥居」という二つのコースに分けて歩く方法を取りました。そのため、自宅が“こちら側”なので御射山社が出発点となったわけです。

御射社境内 体力増強も含めていますから、やや離れた「のりくら石」近くの県道脇に車を駐めました。すでに半分枯れた「会津松」を左に見ると、久しぶりの御射山社入りとなりました。今日は古道の探索なので、そのまま境内をスルーして「近世での表参道」側にある鳥居()をくぐり抜けました。

御射山社参道並木 車道が並行していますが、今は誰も歩くことがない草が生い茂った参道をあえて歩きました。並木の多くはヒノキなどと入れ替わっていますが、部分的に赤松の幹が映える松並木はまだ健在です。ここではありませんが、一週間前、いきなりのヘビ出現にとっさのジャンプをしたのですが、着地がヘビの逃走先と重なりニアミスを起こしてしまいました。それを教訓に、足を引きずるようにして音を立てながら進みました。

小河平吉 石のベンチに、こちらに背を向けた男性が座っています。正面に回って顔を確かめると、初対面ながら小川平吉さんでした。ここは「貴和の苑」とある、彼を顕彰した公園でした。「何も参道の真ん中に開設しなくても」ですが、参道松並木はここで終わっているのでやむを得ないところでしょうか。何しろ地元・旧御射山神戸村の“偉人”ですから、文句を付けても門前払いです。

明治2年生まれの元衆議院議員。

 この先は、事業所の構内・工場団地へ続く道・諏訪南ICの料金所と、通過できない関所が目白押しです。その上を目で飛び越すと、密生した木々で覆われた山が立ちふさがっています。「推定古道」はやや左に曲がり尾根の先端を通っていたようです。

御射山社古道 初めて来た私には昔の地形など全くわかりませんから、取りあえず、御射山社からの松並木参道の旅は、ここで一区切りとしました。左写真では中央の石垣上がその場所です。
 現在は「諏訪南IC」アクセス道路となった車道へ一旦下りました。「ここに出るのか!!」と、地元人間にしてはお粗末な知識を得ました。

 手洗い沢から御射山社境内までの約0.5キロを御射山社参道松並木という。昭和50年から中央道諏訪南IC取り付け工事のため、松並木は手洗い沢から貴和の苑までの大半が破壊された。その中に泉があって、かつて参詣人ののどを潤した。
御射山神戸区『御射山神戸の歴史 2』

「すずらんの里」駅へ

 計画通り、間違えようのない鳥居を出発点にしようと、御射山神戸へ分岐する「車道の参道」を選びました。初めての道を下りきると線路が見え、これもまた「ここにあったのか!!」という「すずらんの里」駅でした。エプソン(ばかりではありませんが)社員の通勤用に新設された駅です。

御射山社参道 左写真では、この道を諏訪南ICから下ってきました。右の幟枠[1]は新しく、昭和38年「當国舊(旧)跡御射山社」とあります。左手前[3]は、昭和2年「御射山社参道」碑で、奥[2]が「天保6年(1835)・御射山神戸邑(村)」とある幟枠です。気になる右手前の「何か」ですが、これは、全く関係ない私のザックです。

 大幟枠と参拝道標識は昭和36年、国道拡幅時に(消防団の)屯所前から宮川脇に移り、そしてこの場所に移転された。
御射山神戸区『御射山神戸の歴史 2』

参道入口鳥居→諏訪南IC「今は絶えた御射山社古参詣路」

御大典記念鳥居
「いつの間にか…!?」(29.3.18)

 この写真は、すずらんの里駅のホームから撮ったものです。このように、現在は鳥居の背後に道路が新設され、周辺の景観は大きく変わっています。
 この参詣古道を歩く人はいないと思いますが、“万が一”に備えて、山の斜面を伝う歩道が参詣古道と説明を入れました。

御射山社参道入口の鳥居 幟枠の横を、車道とは直交する旧道(古道)を鳥居へ向かいます。昭和の「御大典記念」とありますから、昭和天皇が即位したときに建てた鳥居です。その時代でもすでに歩く人は絶えていたと思われますが、かつてのメインストリートを顕彰する意味合いでその位置に建てたのでしょう。

御射山社参詣古道 鳥居の手前までは草が刈ってあります。この場所も大事をとって(ヘビ対策で)スリ足で抜けました。「古道は直進」の先入観があったので、左へ分岐する道に「さー、どっちだ」と悩みます。出だしでこのつまずきですから、この先が思いやられます。結局、順当な「鳥居の向きから左が正解」と緑のトンネルに向かいました。
 雑草も日陰では遠慮するのか、落ち葉だけの道に代わりました。左下に、木々を通して車道が見下ろせます。

御射山社参詣古道 「N」字に近い屈曲で一気に高度が上がりました。所々ぬかるんでいますが、道はしっかりしています。東側が開けると、轍を残して草に埋もれた一車線幅の車道が横切っています。
 クマザサを蹴散らして進むと、右にちょっとした平地があります。茶屋でもあったのか、と踏み込んでみましたが人為的な痕跡は全く残っていませんでした。

エプソン ぽっかりと空いた明るさの先に「青いエプソン」が見えましたが、フェンスの下は切れており、完全な行き止まりでした。
 右の橋が中央自動車道です。ここからは諏訪南ICの出入り口は見通せませんが、覚えのある参道松並木が望めます。橋の下が車道に沿った手洗沢で、その向こうの濃い緑塊が、先ほどの松並木終点から見えた尾根です。糸口は見えますが、削ったり盛ったりという大規模な工事で変貌した地形とあって、参道を繋ぐ綻びは繋がりませんでした。
 このまま強引に車道に降りることを考えましたが、鳥居から見えた「御射山神戸八幡神社」を参拝する選択肢があると、すずらんの里駅へ引き返しました。

御射山社古道とエプソン 結局は車道歩きの往復となって、先ほど見下ろした場所に立ちました。私はエプソンの社員ではありませんが、曇り空でも緑の中での青が印象的だったので、それを大きく入れて撮ってみました。
 電柱脇の[]が“立ち往生”して引き返した場所です。この位置から目で追うと、石垣(フェンス)に沿って左へ降りられることがわかりました。ところで、エプソンの社員で、古道がこの前を通っていたことを知る人はいったい何人いるのでしょうか。

『富士見村図』で見る御射山社参詣路

 昭和36年発刊の富士見村誌刊行会『富士見村誌』から、「富士見村図」の一部をお借りしました。

富士見村図 地図中央の「御大典記念鳥居」から上に延びる「破線(−−)」が、私が歩いた「御射山参詣古道」です。図中の が、 立ち往生した上写真の[]に当たります。当然ながら「すずらんの里駅」はまだなく、神戸八幡神社前から駅への道も小道です。
 資料にある「甲州街道・石上権現−権現橋−片瀬明神−参詣古道(合流)」への直線路「古道−1」は、「片瀬明神からは原型を留めず」とあります。試しに、「片瀬明神」から休耕畑にかけて探してみましたが、全く不明でした。季節柄キノコを採る楽しみもなく、強引に登って車道に合流しましたが…。
 二つの道はかなり接近しています。地形からも急斜面を直登する形になりますから、その存在理由がありません。青柳(左上)方面からの参詣者が、「富士見村図」のように、川を渡ってから現在の駅へ迂回する道を通ったのでしょう。

御射山祭

御射山社参道の幟旗 上から5番目の写真に対応する、平成20年の御射山祭で立てられた幟旗です。写真ではわかりませんが先端にススキが取り付けてあります。
 国道には当日だけ設置される「御射山社へ」の仮標識がありますから、山梨方面から来ると自動的にこの幟旗の間を通ることになります。諏訪市方面や「諏訪南IC」で下りた人は、この幟を見ることはありません。

古参道入口門 24.8.26 国道「御射山神戸」の信号から一つ富士見町寄りにある交差点が、古参道の入口になります。御射山祭の期間中だけ門が建てられますが、やはり、御射山祭のシンボルであるススキの束が柱に結わえ付けられていました。